改訂新版 世界大百科事典 「買辦」の意味・わかりやすい解説
買辦 (ばいべん)
mǎi bàn
外国の資本家に従属し,自国内の商取引を請け負う商人をいう。英語ではコンプラドルcompradore,compradorという。ポルトガル語のcomprar(買う)から派生した購買者の意。日本では〈買弁〉とも書かれ,〈買弁資本〉などともいう。買辦という中国語は,本来,明・清時代,宮廷の必要とする品を用達する商人を指していた。買辦は,植民地,半植民地にみられ,帝国主義のアジア侵略の所産である。インド,東南アジアにも存在したが,もっと重要なのは中国におけるその存在である。
清朝時代,政府は広東1港を外国貿易港に指定し,13軒の商人を外国貿易に従事させた。これを広東十三行と呼ぶ。そこに,通訳と通関事務を行う通事と買辦を置いた。買辦は外国船や外国人宿泊所へ必需品を供給し,また中国人のそこでの雇われ人を監督する任務をもっていた。1842年(道光22),南京条約が締結され,5港が清朝政府を通さずに,外国商人と中国人商人とが直接取引できる自由港になった。その結果,清朝の許可貿易は廃止され,政府許可の中国人商人や通事の制は取り消された。しかし,自由貿易になっても,西欧の商社は中国語,沿岸各港の商慣習に不案内なため,買辦を代理商的使用人に召しかかえた。中国人商人との商取引,関税事務などを買辦に委託した。貿易の拡大に伴い,金融,保険,用船,倉庫など,おのおのに専業的な買辦が作られていった。これを銀行買辦とか倉庫買辦と呼んだ。買辦の多くは開港場の都市の有力者が選ばれた。買辦は19世紀後半から,外国商人の高級召使い的な役割から,しだいに資本を蓄え,本格的な代理商人またはブローカーの役割を果たすようになった。これが買辦資本の成立である。
1896年(光緒22)の日清戦争以後,列強の中国侵略は本格化した。列強は買辦資本を通して中国への資本進出や貿易拡大をはかった。ここにいたり,買辦資本は中国人の利益を犠牲にし,列強のために利益をはかる方向に転換,みずからはその分け前にあずかるようになった。1912年中華民国が成立,蔣介石は28年南京を首都とし,まがりなりにも中国を統一した。中華民国政府は蔣,宋,孔,陳各家の四大財閥の支配下に置かれた。買辦資本が国家権力を奪し,民族の利益を外国に売り渡す官僚買辦資本が成立した。毛沢東の革命理論の特徴の一つは,資本家層をこの官僚買辦資本とそれによって圧迫されている民族資本家とに分けたことにある。そして,後者を味方につけ,革命に成功した。
執筆者:小島 麗逸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報