赫連勃勃(読み)カクレンボツボツ

デジタル大辞泉 「赫連勃勃」の意味・読み・例文・類語

かくれん‐ぼつぼつ【赫連勃勃】

[381~425]中国五胡十六国世祖匈奴きょうど出身で、407年、後秦こうしんから独立してオルドス地方に建国国号大夏とした。のち、長安を占領して北魏ほくぎと対立した。

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精選版 日本国語大辞典 「赫連勃勃」の意味・読み・例文・類語

かくれん‐ぼつぼつ【赫連勃勃】

  1. 中国、五胡十六国の夏の世祖。匈奴の右賢王去卑の子孫。四〇七年、後秦から独立して天王大単于(ぜんう)と称しオルドス地方に建国。のち、晉から長安を奪って南都を置き、北魏と対立した。四二五年没。

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改訂新版 世界大百科事典 「赫連勃勃」の意味・わかりやすい解説

赫連勃勃 (かくれんぼつぼつ)
Hè lián Bó bó
生没年:?-425

中国,(五胡十六国)の創立者。南匈奴単于(ぜんう)の流れをくむが,鮮卑の血も混じるらしい。部族名は鉄弗。代々劉氏を称してオルドス地方の諸部族を統率,父の衛辰は後秦に仕え,北魏に敗れて殺された。勃勃は407年後秦より独立して大夏国を建設,天王・大単于と号した。418年関中を平定して皇帝を称した。姓を赫連(天に連なる意)に改めるなど権威の確立を図り,天下一統を志した英傑で,姚興(ようこう)や劉裕にも畏敬されたが,一面残忍な君主でもあった。統万城に病没
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「赫連勃勃」の意味・わかりやすい解説

赫連勃勃
かくれんぼつぼつ
He-lian Bo-bo; Ho-lien Po-po

[生]?
[没]真興7(425)
中国,五胡十六国の大夏の建国者。南匈奴単于 (ぜんう) の子孫。字は屈孑 (くつけつ) 。初め後秦の保護を受けていたが,後秦にそむいて独立し (407) ,天王大単于となり,国を大夏と称した。のち姓を赫連に改めた。鳳翔5 (417) 年東晋の劉裕 (のちの宋の武帝) が後秦を滅ぼしたが,勃勃はその留守軍を襲って長安を奪い,あらためて皇帝の位についた (418) 。勃勃は性格が残忍で,人民はその非道な政治に苦しんだ。

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世界大百科事典(旧版)内の赫連勃勃の言及

【オルドス】より

…漢代には匈奴,隋代には突厥(とつくつ)など強力な民族がここを占拠すると,国都(長安)が危険にさらされるので,その撃退に非常な努力を払ったものである。漢民族の勢力が弱かったとき,五胡十六国時代には匈奴系の赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)がここに夏国を立て,宋代にはチベット系のタングート(党項)族が建てた西夏国の領土の一部となった。明代にはモンゴル族が優勢であったが,清代には政府の懐柔策が成功して平和が続き,これに乗じて東部では漢民族が進出して牧地の耕地化が行われた。…

【夏】より

…407‐431年。赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)が後秦から独立して建てた匈奴系の国家で,陝西北部および内モンゴルのオルドス地方を領有した。国号の由来は匈奴が禹の後裔であるという伝説にもとづく。…

※「赫連勃勃」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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