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アフガニスタン北部の住民と土地に対する漢代の呼称。張騫(ちょうけん)が訪れ,遊牧民族の大月氏(だいげつし)が土着人の大夏を征服しているのを目撃した(前129年頃)。のち,ここがトハラ人の土地とも呼ばれるので,大夏はトハラの古い音訳であろう。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…代々劉氏を称してオルドス地方の諸部族を統率,父の衛辰は後秦に仕え,北魏に敗れて殺された。勃勃は407年後秦より独立して大夏国を建設,天王・大単于と号した。418年関中を平定して皇帝を称した。…
…李元昊は河西各地を収めたのち,独立意識に燃えて国家建設に着手し,興州を興慶府と改めて都とし(現在の寧夏回族自治区銀川市),宋制にならって文武の官制をたて,年号をたて,兵制を定めて十二監軍司などを設けて防衛を固めた。38年(天授礼法延祚1),皇帝を称し,国号を大夏と定めた。宋の北西に当たるため,宋では西夏といった。…
…トカラ(吐火羅),トハラともよばれた。この地域は古くからインド,西アジア,中央アジアを結ぶ交通の要衝にあたり,トゥハラ人の名は既にストラボンの《地理誌》に挙げられ,また《史記》大宛伝の大夏がそれにあたると考えられる。玄奘の《大唐西域記》巻一に覩貨邏(とから)として記述され,その地域の文字,言語,風俗が中央アジアのソグドやヒンドゥークシュ山脈以南のインド世界とも異なることを指摘している。…
…アイ・ハヌムはバクトリア王国の副都か,東方の重要都市であったにちがいない。西方や中国側史料によれば,バクトリア王国(中国史料の大夏に相当する)は前150年ころ,シル・ダリヤのかなたから侵入してきた大月氏(月氏(げつし))によって滅亡したという。残余のギリシア人はヒンドゥークシュの南へ逃れ,しだいに土着化した。…
…一方,礼楽を定め,蕃・漢二字院を設けたが,李元昊は西夏文字の創造に独立意識をもやし,文字公布の広運3年を記念して年号を大慶元年(1036)に改めた。1038年皇帝を称し,国を大夏と号して対宋独立を宣言した(宋から見ると北西にあたるため宋では西夏と呼んだ)。これより宋・夏の抗戦は激化し,夏軍はしばしば勝利したが,連年の戦いに損害は大きく,44年にいたって臣礼をとり,宋は銀,絹,茶を歳賜として与え,互市を許した。…
※「大夏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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