日本大百科全書(ニッポニカ) 「超高速鉄道」の意味・わかりやすい解説
超高速鉄道
ちょうこうそくてつどう
従来の高速鉄道に比べ、さらに高速での列車運行を可能とする鉄道をいう。明確な定義はなく、その概念も、技術の進歩とともに変化している。
1964年(昭和39)の東海道新幹線の開業とその成功に伴い、世界各国で鉄道そのものが見直され、高速化や新しい高速鉄道開発への取組みが行われるようになった。一般に、鉄道は車輪とレールとの摩擦力(粘着力)によって推力を得ている。速度の増加にしたがって車輪とレールの摩擦力は低下し、伝達できる推力も低下してしまう。一方、走行に伴って生じる走行抵抗は速度とともに増大する。このため、新幹線開業当時は時速250キロメートル程度の速度が営業運転の限界速度と考えられた。これ以上の速度で走行する新たな鉄道システムを超高速鉄道とよび、空気浮上方式や磁気浮上方式とリニアモーター推進などを組み合せて、各国で開発が進められることとなった。しかし、その後、時速250キロメートルが限界であるという当時の判断は誤りで、鉄車輪と鉄レールシステムでより高速での走行が可能であることが明らかになり、従来の鉄車輪方式での高速化の開発が進むこととなった。2008年の北京オリンピック開催を機会に中国では時速350キロメートルでの営業も実現し、さらに高速となる時速380キロメートルや400キロメートルでの営業運転も現実のものになりつつある。現在では時速250キロメートル以上の高速で走行する鉄車輪方式の鉄道を高速鉄道と定義するようになっている。このため、新たなシステムを目ざした超高速鉄道の開発は取りやめて、実績のある鉄車輪と鉄レールシステムにおける高速化を目ざす方向に転換する国々(フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、中国など)が増えることとなった。新たなシステムの開発によって超高速鉄道の実現を目ざす国は日本だけとなっているのが現状である。
[佐々木拓二]
推進方式と支持・案内方式
超高速鉄道には、推進方式と車体の支持・案内方式の開発が必要である。それぞれ次のような方式が検討されてきた。
〔1〕推進方式
(1)航空機と同様にプロペラまたはジェットエンジンで推力を得る方式。(2)タービンの原理を利用し、固定羽根を地上に、回転羽根を車上に設けて直線運動をさせるリニアタービン方式。(3)電動機の原理を直線運動に変えたリニアモーター方式。(4)空気圧の差や重力を利用するチューブ鉄道方式。
〔2〕支持・案内方式
(1)車輪・レール方式。(2)ホバークラフトと同じ空気浮上方式。(3)磁石の吸引力や反発力を利用する磁気による支持・案内方式。
[佐々木拓二]
海外における開発の経緯
ドイツ
超電導磁気浮上式、常電導磁気浮上式および空気浮上式など各種の方式での開発を進めてきたが、その後、常電導磁気浮上リニアシンクロナスモーター方式に絞り込んで開発実験が行われることとなった。全長31.5キロメートルのエムスランド実験線において、実用的規模の2両編成の実験車TR06などの実験走行が行われてきた。この常電導磁気浮上式高速鉄道トランスラピッドTransrapidは、2005年開業を目ざしてハンブルク―ベルリン間を結ぶ実用線が計画されたが、採算面で折り合わず、2000年2月この計画は中止された。その後、ミュンヘン空港のアクセスとして検討されたものの、最終的には採用は見送られた。ドイツ国内での実用化は断念し、在来鉄道方式での高速列車ICE3などの開発に重点は移行した。
中国
ドイツのトランスラピッドの技術をうけ、2001年に上海(シャンハイ)市内―浦東(プートン)国際空港間約30キロメートルの実用線の建設をドイツとの間で調印し、2002年12月には試運転を開始、2004年からは最高時速430キロメートルでの営業運転を行っている。これが現時点での世界で唯一の超高速鉄道であると言える。
フランス
空気浮上のアエロトランの開発に積極的に取り組み、全長18キロメートルの実験線をオルレアン近傍に建設、1974年に時速425キロメートルの記録を達成した。しかし、この方式による営業線の建設は見送り、在来鉄道方式によるTGV(テージェーベー)での高速運転に転じることとなった。
アメリカ
支持・案内方式では空気浮上、超電導磁気浮上の両方式、推進方式としてはリニアモーター、ガスタービン、真空チューブ鉄道など、多様なシステムの研究開発を行ってきたが、いずれも実用化せずに終わった。
イギリス
空気浮上式のホバートレインの開発に取り組んでいたが、その後の進展はない。
このほか、カナダでは超電導磁気浮上リニアシンクロナスモーター方式で検討が進められ、旧ソ連においても磁気浮上式で研究開発が進められていたが、いずれもその後の進展はない。
[佐々木拓二]
日本における開発の経緯
当初から磁気浮上方式に絞って開発を行ってきた。開発母体に応じて二つの系統のプロジェクトがあった。日本国有鉄道が取り組み、分割・民営化後はJR東海と鉄道総合技術研究所が中心となって開発を行っているものは、超電導磁気浮上リニアシンクロナスモーター方式である。1979年(昭和54)に実験車ML-500の無人走行で時速517キロメートルを宮崎実験線で達成した。より実用型に近いMLU001により有人走行を含む各種の実験が行われ1987年2月には時速400.8キロメートルの有人世界記録を達成した。1990年(平成2)からは国家プロジェクトとして推進され、開発は山梨リニア実験線に引き継がれている。
一方、空港と都市中心部を結ぶ高速交通機関の実現を目ざした日本航空は、常電導磁気浮上リニアインダクションモーター方式のHSST(High Speed Surface Transport)の開発に取り組んだ。1985年に筑波研究学園都市(つくばけんきゅうがくえんとし)で開催された国際科学技術博覧会では実験車HSST-03が走行した。しかし、採算性などから実用化が進まず、日本航空はHSST事業から撤退した。その後、高速走行は断念して、中規模の中速輸送機関として、愛知高速交通の東部丘陵線「リニモLinimo」に、その技術が生かされることとなった。
[佐々木拓二]
『奥猛・京谷好泰・佐貫利雄著『超高速新幹線』(1971・中央公論社)』▽『西亀達夫著『「超高速陸上交通機関」研究の幕開け』(1999・日本図書刊行会)』▽『佐々木拓二著「新幹線はどこまで高速で走れるか」(『JREA』2011年5月号所収・日本鉄道技術協会)』