日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホバークラフト」の意味・わかりやすい解説
ホバークラフト
ほばーくらふと
Hovercraft
船体の下面から圧縮空気を水面に強く吹き付けてエアクッションをつくり、これで重量を支え、水面すれすれの高さで航走する船。エアクッション船ともよばれる。アメリカでは、地面または水面に対する圧縮空気の効果を利用するという意味でground effect machineといい、GEMと略称される。ヨーロッパではair cushion vehicleといいACVと略称される。一般には、イギリスで最初の開発を行ったブリティッシュ・ホバークラフト社の商品名であるホバークラフトが船の種類名のように使用されている。
通常の船の底部から海面に向けて空気を吹き付けても船体浮上効果は小さい。そこで、船体の周囲からゴムなどでできたスカートを水面まで垂らして、吹き付けた圧縮空気を逃げにくくして船体を浮上させる。このようにスカート下縁の全周から圧縮空気が流出する型式と、空気室の側面は硬い材料の側壁として空気は前方と後方から流出する型式とがある。一般には前者をホバークラフトといい、水陸両用で砂浜あるいは斜面へそのまま着陸できる。後者はSES(surface effect ship)とよばれ、空気室の圧力を調整することによって航走姿勢を制御し凌波(りょうは)性を向上することができる。船体が浮上したときの航走抵抗は通常の船より格段に小さいから比較的容易に高速が得られる。
ホバークラフトの原理は、1950年代の初め、イギリスのコッカレルChristopher Sydney Cockerell(1910―1999)が、空気を船底と海水の間に流して抵抗を小さくしようと考えて、コーヒー缶とヘアドライヤーで行った実験に端を発している。1959年、ホバークラフト社の前身のウェストランド社は世界で最初の試作艇SRN1型を完成し、ドーバー海峡の横断に成功した。その後、1968年には旅客数254人のSRN4型が巡航速力70ノットでドーバー海峡に就航している。日本では三井造船(現、三井E&S)がイギリスから技術を導入し、1970年(昭和45)には旅客数50人のMV-PP5型を完成し大分空港と大分―別府(べっぷ)間の航路に、1972年には国鉄(現、JR)の宇高航路に就航した。また、1972年には旅客数150人のMV-PP15型がつくられた。この当時ホバークラフトは高速性、水陸両用性を生かした旅客船として有望視されたが、現在は、製造価格はもちろん、保守整備のための費用と人手の面で、在来の高速艇型旅客船、半没水型双胴船、ウォータージェット推進の水中翼船などと競合できないでいるようである。
[森田知治]