越後流(読み)エチゴリュウ

デジタル大辞泉 「越後流」の意味・読み・例文・類語

えちご‐りゅう〔ヱチゴリウ〕【越後流】

上杉謙信の流れをくむ軍学流派総称宇佐美流・神徳流・要門流三流がある。謙信流

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精選版 日本国語大辞典 「越後流」の意味・読み・例文・類語

えちご‐りゅうヱチゴリウ【越後流】

  1. 〘 名詞 〙 近世軍学の一流。上杉謙信戦法を祖述して起こった兵法を広くいい、謙信の部将宇佐美良勝を流祖とする宇佐美流、良勝の孫良賢が江戸で創始した神徳流、謙信の臣加治景英に源を発する要門流の三系統がある。軍律、軍制を特に重視した。謙信流。
    1. [初出の実例]「越後流とは謙信流の事なるべし。越後の兵書に曰、謙信公御家に正哉吾勝尊の兵法有、吾勝伝という」(出典:同志茶話(1721))

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「越後流」の意味・わかりやすい解説

越後流
えちごりゅう

甲州(武田)流と並ぶ近世兵法学の主要流派。戦国の名将上杉謙信(けんしん)の戦法を祖述した兵法学の汎称(はんしょう)。越後柏崎(かしわざき)琵琶島(びわじま)城主で謙信の軍師であった宇佐美駿河守定行(するがのかみさだゆき)を祖とする宇佐美伝と、蒲原(かんばら)郡加治城主で長尾家の書物預り役を勤めた加治遠江守景英(とおとうみのかみかげひで)を祖とする加治伝などがある。宇佐美伝では三伝の宇佐美造酒介良賢(みきのすけよしかた)(勝興。1590―1647)が江戸へ出て家伝の兵法を教授し、神武思想を指導精神として神徳流(しんとくりゅう)を唱えて名声を高め、晩年紀州の徳川頼宣(よりのぶ)に仕え、子孫代々家業を継いで宇佐美流を称した。同流の主要兵書は『武経要略(ぶきょうようりゃく)』で、良賢の高弟、栗田刑部寛安(くりたぎょうぶひろやす)が水戸藩に、隅田作左衛門是勝が岡山藩に伝流した。

 一方、加治伝では、1646年(正保3)三伝加治竜爪斎(りゅうはさい)景明から伝を受けた沢崎主水(もんど)景実(のち朝倉小軒。1625―83)が江戸へ出て、本郷のち芝に塾を開き、同派の根本兵書である『武門要鑑抄(ぶもんようかんしょう)』を大成し、また『要門軍命根(いくさつくね)』など多数の兵書を編述して、要門流(ようもんりゅう)の名を広め、門下に「要門の四家」といわれる高松正春、佐久間景忠、長谷川景重、依田英信をはじめ多くの俊秀を育成し、その門流は広く全国の諸藩伝播(でんぱ)して幕末に及んだ。

[渡邉一郎]

『佐藤堅司著『日本武学史』(1942・大東書館)』『『日本兵法全集第2巻 越後流兵法』(1967・雄山閣出版)』『石岡久夫著『日本兵法史 下』(1972・雄山閣出版)』

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