足立村(読み)あしたてむら

日本歴史地名大系 「足立村」の解説

足立村
あしたてむら

[現在地名]村田町足立

村田郷の北西にあり、村の中央を南東流するあら(松尾川)の最上流域にあたる。西・北・北東部は、標高約二六〇メートルの松尾まつお(谷山)をはじめとする丘陵地。北東は菅生すごう村、北は支倉はせくら(現川崎町)、南は刈田かつた小村崎こむらさき(現蔵王町)など。貞享四年(一六八七)以後本多(太田)氏の在所であった。永正一六年(一五一九)三月二四日、伊達稙宗は上蘆立宗右衛門に、西美作より買得の「蘆立郷内」の在家などを、また翌一七年四月五日にも村田五郎より買得の「芝田の内上足立」と、西新十郎より買得の「上足立郷内真福寺在家」を安堵している(伊達正統世次考)。「封内風土記」によれば、荒川下流域の村田郷は、かつて当村と一村であったといい、戦国期、足立の地は上下二つに分れており、上足立は当村、下足立は近世の村田郷にあたるとも考えられる。

天文七年(一五三八)の段銭古帳に、「むら田殿へ参候田代」のうちとして「十八貫文 上あしたて」「仁十仁〆五百文 下あしたて」とあり、村田城主村田近重の所領があった。


足立村
あだちむら

[現在地名]榛原町大字足立

芳野ほうの川西岸、高塚たかつか村北方に位置。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳のうだ郡の山尸やまし庄の所在地に「安(達カ)」があり、宇太水分神社古図、宇陀郡田地帳案(春日神社文書)には「阿立」と書く。

慶長郷帳の村高一九二・一石。慶長六年(一六〇一)松山藩(福島高晴)領。元禄八年(一六九五)以降幕府領元禄検地により村高は一七四・〇九六石。寛政一一年(一七九九)の大干損で打撃をうけ、村民は借銀の利子に追われ、一四軒が文政七年(一八二四)には八軒に減少し、人口も天保六年(一八三五)六三(男三〇、女三三)が弘化三年(一八四六)に三七(男一八、女一九)


足立村
あだちむら

[現在地名]小倉北区山門町さんもんちよう・足立一―三丁目・足原あしはら一―二丁目・足原・妙見町みようけんちよう寿山町じゆざんちよう

熊本くまもと村の南東、足立山西麓に位置し、東から北にかけて富野とみの村と接する。中津街道脇道が通る。元和年間(一六一五―二四)当地一帯は細川忠興隠居領となっており、すでに諸奉公人や町人の手で「足立原すな新地」として四〇〇石が開墾され、寛永三年(一六二六)に「足立之開畠」に堤を築いて田地にする計画が示された(細川家文書)。日帳(永青文庫)の寛永三年一二月九日条に足立の菊原五郎屋敷のことがみえる。郷村高帳では高六九六石余、うち新田高三七九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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