追手町(読み)おうてまち

日本歴史地名大系 「追手町」の解説

追手町
おうてまち

[現在地名]東区内久宝寺うちきゆうほうじ町三丁目

内久宝寺町の東に延びる両側町で、西は善安ぜんなん筋の少し西まで(延享版「難波丸綱目」)町名は明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図にみえるが、読みは「宝暦町鑑」は「おふてまち」、「天保町鑑」は「おってまち」とするように両方がある。「難波鶴」には大手町とみえ、追手は城の正面を示す大手の意であるとも考えられるが、当町は大坂城大手筋ではない。

追手町
おつてちよう

[現在地名]明石市大明石町おおあかしちよう一丁目

明石城の郭内、中堀の太鼓たいこ御門から外堀大手おおて御門に至る道筋にあった町。東側には、堀と並行するかたちで北から東堀端ひがしほりばた町・なかなかノ町・東土手ひがしどて町が、西側には同じく西堀端町、西中にしなかノ町、中土手なかどて町があり、当町といずれも直角に交差していた。明石藩重臣が居住した家中町の一つ。享保年間(一七一六―三六)の明石城下図に町名がみえるが、文久三年(一八六三)の明石町旧全図には大手町、大手御門と記載されている。

追手町
おうてまち

[現在地名]飯田市追手町

堀端の東、追手門に通ずる中通りの道筋に位置する。東へ進めば二の丸・本丸へと通ずる。中通りの両側は武家屋敷であった。

追手門のそばに太鼓堂が建てられていた。以前は鐘楼で、その鐘は寛永一八年(一六四一)脇坂安元の代に造られ、時報や火災報知に用いられた。宝永四年(一七〇七)の地震で鐘が堀に落ち、文化一五年(一八一八)鐘を鋳直した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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