日本歴史地名大系 「造田村」の解説
造田村
そうだむら
元和六年(一六二〇)の高一三三石余(「そうだの名寄米もり帳」西村文書)、正保四年(一六四七)の高四二八石余(「内田造田内検地帳」同文書)、寛文三年(一六六三)の高七四一石余(「造田村土免定」同文書)、同一三年の高一千三八石余(「内田村田方検地帳」谷光文書)。文政九年(一八二六)の高八七〇石余、貢納は四口米五〇〇石余、夏成銀二千三六匁五分、浮役銀は林運上銀三九六匁、薪銀八六匁四分、興炭銀二四匁七分、真綿銀一五一匁四分、家数二一九(石居一五三・掘立六六)・人数九二五(男五〇一・女四二四)、本百姓一九八、半百姓六四、山伏三、僧侶・大工各二、御林守・刀指・社人・鍛冶・猟師・馬医各一、酒株一があり、寺二、庵二、牛五七・馬四、池三八(「山分村々五人組帳調」同文書)。寛永国絵図では
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報