日本大百科全書(ニッポニカ) 「連邦美術計画」の意味・わかりやすい解説
連邦美術計画
れんぽうびじゅつけいかく
Federal Art Project
1929年の大恐慌に際して、アメリカ合衆国政府が行った美術家救済計画の一つ。ルーズベルト政権は窮地に陥った美術家を救済するため、事業促進局(WPA)の美術計画として四つの計画を実施した。そのうち33年12月から6か月にわたる公共美術計画(PWAP)と35年から43年まで続いた連邦美術計画(FAP)がもっとも成果をあげたといわれる。両計画とも一定の給料を払って美術家を動員したのが特徴で、彼らは全国各地の駅、学校、集団住宅などの公共建築に壁画や彫刻をつくったほか美術教育を行って美術の普及に努めた。これらの計画がもたらした効果は大きく、冷えきっていた美術と社会の関係を根本的に変えたのをはじめとして、美術家同士の連帯感と生産者としての意識革命などがみられた。またその直後に続く抽象表現派の大画面を生む先駆的実験にもなったといわれる。
1960年代から実施されている全米芸術基金(NEA)、公共施設庁(GSA)の「美術を建築に」政策は、事業促進局の美術計画の拡大版といえるものであろう。全米芸術基金は、幅広い層の芸術活動を促進し、観客層の育成に貢献した。とくに地方の芸術家への支援を通じて、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、ワシントンDC、ボストンなどニューヨーク以外の芸術活動の中心地の誕生を促した。しかし、アメリカはもともと反芸術的な風土もあり、また反社会的な芸術への助成をめぐる議論がおこり、1996年度以降予算が大幅に削減されている。公共施設庁の「美術を建築に」政策は、建物の新築または改築工事費の1%を芸術作品の発注に配分する「パーセント・フォー・アート」プログラムなどの採用により公共空間に多くの彫刻を出現させ、アメリカの彫刻の発展に多大なる貢献をした。
[桑原住雄・黒沢眞里子]