日本歴史地名大系 「遍明院」の解説
遍明院
へんみよういん
遍明院
へんみよういん
秋穂町の中心秋穂浦の北に続く
寺伝によると、大内氏の家臣で、この地方の領主であった秋穂飛騨守盛治が父母の菩提を弔うために、永禄五年(一五六二)に建立したといい、開山は重慶と伝える。初め
現秋穂町一帯から山口市
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
秋穂町の中心秋穂浦の北に続く
寺伝によると、大内氏の家臣で、この地方の領主であった秋穂飛騨守盛治が父母の菩提を弔うために、永禄五年(一五六二)に建立したといい、開山は重慶と伝える。初め
現秋穂町一帯から山口市
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...