家庭医学館 「遺伝のしくみ」の解説
いでんのしくみ【遺伝のしくみ】
◎染色体のしくみ
◎遺伝病(いでんびょう)のいろいろ
◎遺伝子治療の現状と将来
◎遺伝と遺伝子
カエルの子はカエルになり、ヒトの子はヒトになり、子どもが父親と母親に似ているというような、身近で基本的な生命の営みが遺伝(いでん)です。
世界で初めて遺伝についての科学的実験を行なったのはオーストリアのメンデルです。メンデルはエンドウマメの種子のでき方を何年にもわたって交配(こうはい)試験をくり返して調べ、結果を1865年にまとめました。そこから導かれたのが有名なメンデルの法則(ほうそく)です。この法則は、初めのうちは世の中に受け入れられませんでした。しかし現在では、遺伝の基本的な考え方として認識されています。
メンデルは、エンドウマメの種子の色や形の特徴(形質(けいしつ))が液体のようにまざりあうのではなく、ある法則をもって次世代に伝わるのは、「遺伝因子」が規定しているからであると考えました。この遺伝因子が現在、遺伝子(いでんし)と呼ばれているものに相当したのですが、当時はそれが具体的にどういうものかわかりませんでした。
その後、細胞の核の中にある物質が遺伝に関係していることがわかるようになりました。その物質がDNA(デオキシリボ核酸(かくさん))です。
DNAは遺伝子の本体で、すべての細胞の中に存在します。ヒトの遺伝子の数は約3万から4万くらいといわれています。
私たちのからだの細胞の核の中には染色体(せんしょくたい)と呼ばれるものがあり、顕微鏡で見ることができます。DNAはこの染色体に厳密な規則をもって一列に並んでおりたたまれています(図「遺伝子(DNA)と染色体」)。このDNA(遺伝子)が遺伝情報をもっていて、細胞はそれにしたがってそれぞれのはたらきをしているのです。私たちは、最初は、たった1つの細胞=受精卵(じゅせいらん)からスタートします。この受精卵が細胞分裂をくり返して人間へと成長するわけですが、その細胞分裂の際に遺伝子はまったく自分と同じものを複製し、それが新しい細胞に受け継がれていくのです。
私たちのからだは、約60兆個の細胞からできているといわれていますが、そのすべての細胞の中に、最初の受精卵と同じ遺伝情報をもった遺伝子があることになります。
◎染色体のしくみ
ヒトの細胞の中にある染色体の数は46本です。染色体数は生物の種(しゅ)によって異なります表「いろいろな生物の染色体数」。染色体は、細胞周期(細胞分裂の周期)のうち、分裂期という時期に凝縮するため、顕微鏡で見ることができるようになります。ヒトの46本の染色体を、大きさと形が同じものを2本1組にしていくと、22の組(対)ができます。この22組=44本を常染色体(じょうせんしょくたい)といいます。
残りの2本は、男女の性を決める性染色体(せいせんしょくたい)です。女性にはX染色体が2本、男性にはX染色体とY染色体がそれぞれ1本ずつあります。つまり、性染色体がXXなら女性になり、XYなら男性になるわけです。
染色体を識別するためには、大きさと形を組み合わせて並べかえた染色体を番号順に並べたもの(核型)で表し、縞模様(しまもよう)により、各染色体が識別できるように染色するGバンドという方法でつくります。
46本の染色体は、23本を父親(の精子(せいし))から、残りの23本を母親(の卵子(らんし))から受け継いでいます。これは、精子と卵子のもとになる生殖細胞がつくられるときに、減数分裂(げんすうぶんれつ)というしくみによって、2本1組の染色体の片方(どちらか1本)だけが子どもに受け継がれるようになっているからです。
その結果、精子は22本+XまたはY、卵子は22本+Xと、それぞれ計23本ずつの染色体を子ども用に準備することになります。そして受精卵となったときに再び46本(22組の常染色体と1組の性染色体)の染色体が構成されるのです(図「染色体の分配のしくみ」)。
このしくみによって、私たちのからだ中の細胞は、どの細胞も最初の受精卵と同じ染色体をもっており、基本的にはまったく同じ遺伝情報をもっていることになります。つまり、生まれてくる子どもの遺伝情報は、父親と母親からそれぞれ半分ずつ受け継がれているわけです。
両親からみれば、組になっている2本の染色体のうち、どちらかを子どもにあげるわけですから、染色体1本につき、2通りの可能性があることになります。染色体全部(23組)についてみた可能性の総数は、2の23乗通りですから、なんと839万通りにもなります。
両親それぞれにこれだけの可能性があるわけですから、その2人の間にできた子どもがもつ可能性は、2倍の1670万通り以上になります。
さらに、キアズマという染色体が一部入れ換わる(交叉(こうさ))確率も含めると、天文学的な数字の可能性があることになります。
同じ両親から、顔つきや体つきは似ているけれど、一人ひとりまったく異なった個性や才能をもつ兄弟姉妹が生まれてくる背景には、このような染色体の分配のしくみがあるのです。
◎遺伝病(いでんびょう)のいろいろ
メンデルの法則でほぼ説明できるたった1つの遺伝子の異常で病気がおこることがあります。遺伝病(いでんびょう)(単一遺伝子病(たんいついでんしびょう))です。遺伝病は、親から正常な遺伝子を受け継ぎながら、子どもの代で遺伝子に変異がおこって(突然変異(とつぜんへんい))病気になる場合と、親から病気の遺伝子を受け継いで発症する場合とがあります。
遺伝病には、大きく分けて、優性遺伝病(ゆうせいいでんびょう)と劣性遺伝病(れっせいいでんびょう)とがあります。
遺伝子は2本で1組の染色体上に厳密な順序で並んでいます。常染色体では父親由来の遺伝子と母親由来の遺伝子とが一対になって並んでいますが、このうち、どちらか片方だけの遺伝子の異常によっておこるのが優性遺伝病です。また、一対両方の異常でおこるのが劣性遺伝病です。
どちらもまれな病気が多いのですが、単一遺伝子病を全部合わせると、全出生児の約1.5%、つまり生まれてくる赤ちゃん100人中1人~2人くらいの割合になります。
常染色体優性遺伝病(じょうせんしょくたいゆうせいいでんびょう)には、家族性高(かぞくせいこう)コレステロール血症(けっしょう)、多嚢胞腎(たのうほうじん)、多発性外骨腫(たはつせいがいこつしゅ)、ハンチントン病、神経線維腫症(しんけいせんいしゅしょう)、筋緊張性(きんきんちょうせい)ジストロフィー、結節性硬化症(けっせつせいこうかしょう)、大腸ポリポーシス、盲(もう)(常染色体優性)、難聴(なんちょう)(常染色体優性)などがあります。
常染色体劣性遺伝病(じょうせんしょくたいれっせいいでんびょう)は、人種によって頻度に顕著な差があります。たとえば、嚢胞性線維症(のうほうせいせんいしょう)は白色人種に多く、サラセミア、鎌状赤血球貧血(かまじょうせっけっきゅうひんけつ)は黒色人種や地中海沿岸の国々の人に多くみられ、ティ‐ザックス病、ゴーシェ病、ブルーム症候群はユダヤ人に多くみられるという具合です。
マススクリーニング(新生児集団検診)が行なわれているフェニールケトン尿症(にょうしょう)、ガラクトース血症(けっしょう)などの先天性代謝異常症も常染色体劣性遺伝病ですが、日本人に現われる頻度は低く、特別なミルクと制限食で早期に治療を開始すれば、まったく問題なく成人することができます。
X連鎖(れんさ)(伴性(ばんせい))劣性遺伝病(れっせいいでんびょう)の原因となる遺伝子はX染色体の上にあります。劣性で、患者さんのほとんどが男性です。それは、男性はX染色体が1本しかないため、病気の遺伝子を受け継ぐと必ず症状が現われるのに対し、女性にはX染色体が2本あり、片方が病気の遺伝子でも劣性なので症状が出ないためです。
頻度の高い赤緑色覚異常(せきりょくしきかくいじょう)、脆弱(ぜいじゃく)X症候群、デュシェンヌ型筋ジストロフィー、ベッカー型筋ジストロフィー(良性型)、血友病(けつゆうびょう)A(第Ⅷ因子欠損(いんしけっそん))、血友病B(第Ⅸ因子欠損)、無ガンマグロブリン血症(けっしょう)などがX連鎖劣性遺伝病です。
そのほか、1つの遺伝子ではなく複数の遺伝子が作用し、環境要因も作用していると考えられるものに多因子遺伝病(たいんしいでんびょう)があります(表「効果的な治療法のある単一遺伝子病と多因子遺伝病の例」)。口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)、先天性心疾患、幽門狭窄(ゆうもんきょうさく)、先天性股関節脱臼(こかんせつだっきゅう)などの先天異常と、糖尿病、てんかん、高コレステロール血症、高血圧、消化性潰瘍(かいよう)、リウマチ性関節炎、躁(そう)うつ病、統合失調症など、頻度の高い病気が含まれています。最近では、これらに関係している遺伝子の解析が進みつつあります。
◎遺伝子治療の現状と将来
遺伝子治療が成功したといえるのは、遺伝子が同定(どうてい)、単離(たんり)(1つの純粋な物質として他の物質と区別でき、とり出せる)され、正常な遺伝子を細胞内に組み入れることができ、患者さんの体内でその細胞を正常に機能させることができたときです。
1990年、アメリカで初めてADA(アデノシンデアミナーゼ)欠損症(けっそんしょう)の4歳の女児に対する遺伝子治療が行なわれ、成功しました。それ以来、アメリカでは、単一遺伝子病、がん、エイズなどを対象とする遺伝子治療が行なわれています。
単一遺伝子病としては、先天性免疫不全症(ADA欠損症)、家族性高コレステロール血症、嚢胞性線維症、血友病B、ゴーシェ病などが対象となっています。アメリカの技術を導入して、1995年に北海道大学で初めてADA欠損症の男児に対する遺伝子治療が行なわれ、効果が確認されました。
そのほか、東京大学医科学研究所では腎細胞(じんさいぼう)がん患者を対象にした遺伝子治療が行なわれており、他にも遺伝子治療の計画や申請がなされ、審査段階に入っているものもあります。また、臨床での応用と並行して、遺伝子を細胞内へ運ぶベクターの開発研究も進められています。
将来は、現在、治療法のない脳神経系の病気や遺伝病、がん治療への応用の途(みち)が開かれ、さらにDNAワクチンや飲み薬による遺伝子治療が開発されることが期待されています。