酒井忠正(読み)サカイ タダマサ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「酒井忠正」の解説

酒井 忠正
サカイ タダマサ


肩書
貴院副議長(伯爵),農相

旧名・旧姓
別名=阿部 元彦

生年月日
明治26年6月10日

出生地
東京市本郷

学歴
京都帝大法科大学〔大正7年〕卒

経歴
明治43年伯爵酒井忠興養子となり、大正8年襲爵。9年司法相秘書、11年鉄道相秘書、12年貴院議員。帝国農会会長、内閣調査局参与、昭和14年阿部信行内閣の農相、19年貴院副議長。一方、安岡正篤傾倒、自邸内に金鶏学院創設、7年安岡と国維会を結成、国民精神総動員運動にも参加。翼賛会総務、翼政協委員、翼政会常任総務などを務め戦後戦犯として逮捕された。解除後27年からヒロポン患者更生の復光会会長、中央競馬会理事長、横綱審議会委員長などを歴任。相撲の殿様といわれ著書に「相撲随筆」「日本相撲史」などがある。

没年月日
昭和46年2月16日

家族
実父=阿部 正桓(旧福山藩主・伯爵) 養父=酒井 忠興(伯爵) 妻=酒井 美意子(評論家随筆家) 長男=酒井 忠元(伯爵)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「酒井忠正」の解説

酒井 忠正
サカイ タダマサ

大正・昭和期の政治家 貴院副議長(伯爵);農相。



生年
明治26(1893)年6月10日

没年
昭和46(1971)年2月16日

出生地
東京市本郷

旧姓(旧名)
阿部 元彦

学歴〔年〕
京都帝大法科大学〔大正7年〕卒

経歴
明治43年伯爵酒井忠興の養子となり、大正8年襲爵。9年司法相秘書、11年鉄道相秘書、12年貴院議員。帝国農会会長、内閣調査局参与、昭和14年阿部信行内閣の農相、19年貴院副議長。一方、安岡正篤に傾倒、自邸内に金鶏学院を創設、7年安岡と国維会を結成、国民精神総動員運動にも参加。翼賛会総務、翼政協委員、翼政会常任総務などを務め戦後戦犯として逮捕された。解除後27年からヒロポン患者更生の復光会会長、中央競馬会理事長、横綱審議会委員長などを歴任。著書に「相撲随筆」「日本相撲史」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒井忠正」の解説

酒井忠正 さかい-ただまさ

1893-1971 大正-昭和時代前期の政治家。
明治26年6月10日生まれ。阿部正桓(まさたけ)の次男。酒井忠興(ただおき)の養子。貴族院で研究会に所属。帝国農会会長から,昭和14年阿部内閣の農相,19年貴族院副議長となる。戦後,中央競馬会理事長,横綱審議会委員長などをつとめた。昭和46年2月16日死去。77歳。東京出身。京都帝大卒。幼名は元彦。著作に「日本相撲史」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「酒井忠正」の解説

酒井 忠正 (さかい ただまさ)

生年月日:1893年6月10日
大正時代;昭和時代の政治家。貴族院議員;農林大臣
1971年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の酒井忠正の言及

【安岡正篤】より

…1921年ころから参加していた社会教育研究所,その後身の大学寮で当時のデモクラシー思潮に対抗して日本主義を主張する講義を行う。25年行地社を脱退し,青少年の精神教化運動を志して,酒井忠正らの援助により金鶏学院を創立(1927)。32年日本精神による政教の維新を唱えて国維会を結成,新官僚の本山と目された。…

※「酒井忠正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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