野崎 武吉郎
ノザキ ブキチロウ
- 肩書
- 貴院議員
- 別名
- 諱=〓(ユダメ) 幼名=富太郎 通称=武左衛門 号=竜山
- 生年月日
- 嘉永1年8月3日(1848年)
- 出生地
- 備前国(岡山県)
- 経歴
- 元治元年(1864年)祖父が亡くなると、翌年に家督を継ぎ、大庄屋格に任ぜられるとともに家業の製塩業に従事。明治時代に入ると、瀬戸内地方の塩業者によって組織された十州塩業同盟会に関与し、明治20年十州塩田組合本部長となる。また同年野崎家の経営方針を定めた「野崎家家則決議書」を制定、のちには180町歩以上の塩田を抱える大塩業者にまで成長した。23年貴院議員に選ばれ、台湾における塩田開発や塩専売法成立などで活躍し、39年まで在任。一方、私財を投じての慈善事業や教育事業にも当たり、道路の改修や学校建設を援助するなど地域の発展に貢献した。
- 没年月日
- 大正14年10月25日
- 家族
- 祖父=野崎 武左衛門(塩業家)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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野崎 武吉郎
ノザキ ブキチロウ
明治・大正期の塩業家,政治家 貴院議員。
- 生年
- 嘉永1年8月3日(1848年)
- 没年
- 大正14(1925)年10月25日
- 出生地
- 備前国(岡山県)
- 別名
- 諱=〓(ユダメ),幼名=富太郎,通称=武左衛門,号=竜山
- 経歴
- 元治元年(1864年)祖父が亡くなると、翌年に家督を継ぎ、大庄屋格に任ぜられるとともに家業の製塩業に従事。明治時代に入ると、瀬戸内地方の塩業者によって組織された十州塩業同盟会に関与し、明治20年十州塩田組合本部長となる。また同年野崎家の経営方針を定めた「野崎家家則決議書」を制定、のちには180町歩以上の塩田を抱える大塩業者にまで成長した。23年貴院議員に選ばれ、台湾における塩田開発や塩専売法成立などで活躍し、39年まで在任。一方、私財を投じての慈善事業や教育事業にも当たり、道路の改修や学校建設を援助するなど地域の発展に貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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野崎武吉郎 のざき-ぶきちろう
1848-1925 幕末-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)元年8月3日生まれ。野崎定次郎の兄。祖父野崎武左衛門の跡をついで家業の製塩業を発展させ,道路改修,学校建設の援助など地域の発展につくした。明治23年貴族院議員。大正14年10月25日死去。78歳。備前(岡山県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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