綿織物の一種。栃木県真岡市付近ならびに茨城県筑西市の旧下館市にかけて織られていた白木綿をいう。真岡を集散地とした。関東各地の機業は16世紀の三浦木綿に始まり,千葉海岸を中心に綿花の栽培が行われていた。手紡ぎの綿糸で織られる真岡木綿は,青梅縞,結城縞とならぶ関東の代表的な織物であった。文化~天保(1804-44)ころが最盛期で,年間38万反ともいわれた。当時は藍花色,浅葱(あさぎ)色をおもに着尺地に用いた。明治初期ころから埼玉各地でも織られていたが,明治中期に名古屋の商人が輸入の紡績糸を使って真岡木綿をまねて織り出し,岡木綿と名づけた。以来,産地は尾州地方に移り,明治末期には生産は300万反に及んだ。現在は各綿織物産地でゆかた地用などとして織られるものがその流れをくんでいる。
執筆者:宮坂 博文
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報
…また那須郡は19.8%で郡別第4位,芳賀郡は12.3%で第6位をしめ,前者は葉煙草,楮皮,実綿,後者は実綿,楮皮,菜種の順となっている。芳賀郡は真岡(もおか)木綿の伝統的な特産物をはぐくみながら,化政期(1804‐30)の38万反の生産が明治初年には1万反台の激減をみた機業地をかかえていた。開港を契機とした変動といわれるが,他方同じ下野にあって開港を契機として隆盛をみているのが足利織物であった。…
…17世紀後半から六斎市が開かれ,酒・しょうゆの醸造業や石材加工も興り,周辺農村の商品流通の拠点として,在郷町の性格が強まった。とくに真岡(もおか)木綿生産地帯の一環として,縞木綿・さらし木綿の生産と取引が活発になり,六斎市も木綿取引を中心とする定期市に変じたが,19世紀に入ると周辺農村自体の商品流通が展開し,町屋村の定期市や商品取引は停滞した。1876年11月に地租改正反対一揆として有名な真壁騒動が発生した。…
※「真岡木綿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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