野里浜古墳群(読み)のりはまこふんぐん

日本歴史地名大系 「野里浜古墳群」の解説

野里浜古墳群
のりはまこふんぐん

[現在地名]志摩町越賀

志摩半島の先端に近い太平洋側の丘陵上に築造された古墳時代後期の円墳群。外洋を南に望む標高二〇メートルの丘陵のそれぞれの支脈の頂部に、五基から六基ずつまとまって、全一六基が確認されている。南側は断崖となり、その下は砂浜になっている。昭和二八年(一九五三)の一三号台風による災害の復旧工事の時には、弥生時代中期の土器、古墳時代後期の須恵器などが出土していて、海浜に集落のあったことが知られる。墳丘の規模は直径約一九メートル、高さ三メートルの五号墳を最大とするが、直径一二メートル前後、高さ一・五メートル前後のものが多い。内部構造は明らかでないが、横穴式石室と推定される。昭和四三年六月、分譲別荘地造成によって削平された一号墳からは、土師器小型壺、須恵器の坏・提瓶などが出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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