日本歴史地名大系 「金ヶ瀬宿」の解説 金ヶ瀬宿かながせしゆく 宮城県:柴田郡大河原町平村金ヶ瀬宿[現在地名]大河原町金ヶ瀬・緑町・東新町平(たいら)村に含まれた奥州街道の宿駅で、西の刈田(かつた)郡宮(みや)宿(現蔵王町)より一里一二町、東の大河原宿まで三〇町。本(もと)町・新(しん)町の二町があった。地名は、南辺を東流する白石(しろいし)川川瀬の石や砂が蔵王火山の鉱水のため茶褐色をおび、金気のある瀬という意味だといわれる。天文二二年(一五五三)集成の晴宗公采地下賜録によれば、柴田庄堤(つつみ)のうちとして「かなかせ」とあり、大町七郎に与えられている。天文期には柴田郡に属していたと思われるが、近世初期には刈田郡宮村に含まれたと考えられ、「宮村安永風土記」によると、寛永一四年(一六三七)の洪水で、白石城主片倉家の給地で、境警備の足軽を主体とした宿駅であった宮村籠石(かごいし)の金ヶ瀬町場はほとんど流失。代わって隣村平村の畑地一貫四〇二文の知行を受け、同一九年住民は移住し伝馬の務めを継承した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by