日本大百科全書(ニッポニカ) 「金襴・銀襴」の意味・わかりやすい解説
金襴・銀襴
きんらんぎんらん
平織・綾織(あやおり)・朱子織(しゅすおり)などの地組織に、金銀糸を絵緯(えぬき)として織り込んで文様を現した織物。金糸には平金糸と撚(より)金糸とがあり、平金糸は紙の上に漆を引いて、その上に金箔(きんぱく)を張り付け、それを1ミリメートルないし1.5ミリメートルの幅に細く裁断したもの、撚金糸は絹糸に金箔を巻き付けたものである。これは銀糸についても同様である。これを製織時にサシですくい、杼口(ひぐち)を開口しているときに緯入れする。おそらく西アジアから伝えられた技法であり、古墳時代後期には出土し、正倉院でも綴錦(つづれにしき)にあるが、単に金糸だけで模様の表出には使用していない。金襴は、中国で唐末あるいは宋(そう)初に始まったものとみられ、宋から元にかけて非常に発達した織物で、織金(しょくきん)とよんでいた。そして禅僧に賜った袈裟(けさ)を金襴衣(え)とよんだことから、これを金襴とよぶことになった。わが国では、宋代のものが、禅宗の伝法衣(でんぽうえ)として伝えられ、また舞楽装束に残されている。そして『鹿苑(ろくおん)日録』1592年(文禄1)3月の条には、京都の町人が初めて錦(きん)(金)襴を織り出したことを記録しているので、このころには国産化に成功したものとみられる。とくに茶道の「名物裂(ぎれ)」として珍重され、富田(とみた)金襴、興福寺金襴(実は銀襴)、大燈(だいとう)金襴など、使用者、用途などによって名づけられたものがある。現在では、ジャカード機でも織られるようになり、表出性の強い袈裟、能装束、表装具、帯地、人形の衣装などに用いられており、また代用として金属箔を使用することがある。
[角山幸洋]