長宗我部元親墓(読み)ちようそがべもとちかのはか

日本歴史地名大系 「長宗我部元親墓」の解説

長宗我部元親墓
ちようそがべもとちかのはか

[現在地名]高知市長浜

長浜ながはま川の右岸天甫寺てんぽじ山の東南麓にある。県指定史跡。

長宗我部元親は、天文七年(一五三八)岡豊おこう(現南国市)城主長宗我部国親の子として生れ、永禄三年(一五六〇)父の死後家督を継ぎ、以後、国内各地の有力土豪を従え、土佐を統一、次いで天正三年(一五七五)頃に阿波へ、同四年には南伊予へ、同六年には讃岐へ侵攻し、同一三年春には四国統一を果した。しかし同年七月、豊臣秀吉四国征伐の前に降伏、土佐一国の領有を許された。同一四年、秀吉九州征伐に長男信親とともに出陣、豊後戸次へつぎ川の戦で信親を失った。同一五年九月より土佐一国の検地を行った。これが現在伝えられる長宗我部地検帳である。その後、秀吉の小田原征伐朝鮮出兵(文禄の役・慶長の役)にも参戦した。慶長二年(一五九七)長宗我部元親百箇条を制定し、領国支配の基本を確立した。しかし同四年、上洛中の京都伏見で没し、遺骨は天甫寺山に葬られた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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