日本歴史地名大系 「長森村」の解説
長森村
ながもりむら
貞享元年(一六八四)の郷村帳に高四二一・三石とある。同四年の検地帳では、田方九町二畝七歩、畑方一七町五畝九歩、田畑屋敷合せて二六町七畝一六歩、村高九七・〇五一石とある。屋敷地のうち、六歩は郷蔵屋敷である。元禄三年(一六九〇)には横内組に属し、村位は下である(平山日記)。享保一一年(一七二六)支村の矢田村が本村として独立した(「村名改称并新村創立調」八木橋文庫蔵)。明治初年の「新撰陸奥国誌」に家数八とあり、明治一一年(一八七八)以降矢田村に合併した。貞享四年の検地帳にみえる六地名のうち、
長森村
ながもりむら
長森村
ながもりむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報