日本歴史地名大系 「門川尾末村」の解説
門川尾末村
かどがわおずえむら
長禄元年(一四五七)
天正五年島津氏に攻撃された伊東義祐は豊後に逃亡し、同年一二月二四日、大友氏は島津氏に対して書面を送り、門川など三城の処理を問題にしている。この付近が島津勢力と大友勢力の境界となっていた。同六年大友宗麟はキリスト教的理想王国建設を夢見て日向に侵攻し、二月二〇日、豊州表から兵船一五艘余で門川浦へ来着した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報