阿形村(読み)あがたむら

日本歴史地名大系 「阿形村」の解説

阿形村
あがたむら

[現在地名]小野市阿形町

加古川を挟んで久茂くも村の西に位置し、南は西から延びる山塊を挟んで上来住かみぎし村。加古川の本流万願寺まんがんじ川が合流する南西の台地上に集落を形成し、耕地は集落の下方、西と南に開かれている。文安二年(一四四五)九月二日の山名持豊妙見社領寄進状(日光院文書)に「東河合阿形村領家半済公文給算失文料上月伊勢守跡」とあり、南北朝期以来の赤松氏直臣上月氏の跡地であった。嘉吉の乱による赤松氏の没落後、文安元年一〇月赤松播磨守満政が播磨へ討入りを図り、山名氏が反撃する。同寄進状の裏書によると、山名持豊が但馬国石原いしわら(現八鹿町)の妙見社へ赤松満政退治を立願し、当村を寄進したという。満政の攻撃は失敗。


阿形村
あがたむら

[現在地名]松阪市阿形町

大足おわせ村の南、坂内さかない川の左岸にあり、東は坂内川を隔てて村と接している。「和名抄」に英太あがた郷がある。中世には、伊勢神宮領として成立し、「神宮雑例集」「神鳳鈔」に英太神田・英太御厨の記載がみられる。南北朝期のものとされる玉田寺大般若経(多気郡多気町光徳寺蔵)の奥書に「英太」がみえる。文禄検地帳(徳川林政史蔵)に「飯高郡阿形村」とあり、宝永七年(一七一〇)・享保六年(一七二一)新田検地が行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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