中国,魯迅の中編小説。1921年に新聞《晨報》に連載中から,その風刺の鋭さゆえに,北京の知識人のあいだで見当はずれにもモデル騒ぎがもち上がった,というエピソードがある。主人公のルンペン農民阿Qは,姓名も定かでなく,定まった職業はおろか,女性にも縁なく“性”すら奪われ,おまけに肉体的にははげの劣等感に悩まされるという,およそ最低の存在である。作者は,この阿Qを農村社会のさまざまな階層の人間とかかわらせるなかで,その卑劣さや残酷さを容赦なくえぐり出すとともに,阿Qの底位置から見るとき,もっともよくすけて見えるそれより上層に位置する人間の虚偽をも暴いた。かくして,作品は不思議な魅力を備えることとなった。中国では,その場その場で都合のよい理屈をもち出して自分の敗北をごまかす阿Qの〈精神勝利法〉が問題にされる(阿Qのようになるな)。しかし,人々は作者とともに,阿Qの愚昧の上に幾重にものしかかっている人間の虚偽をも見ないわけにはいかない。かくして,〈精神勝利法〉批判は,それだけに終わらず,そうしたものを生んだより根元的なものの批判へと読者を導くことになる。《阿Q正伝》は,いまや数ヵ国語に訳され,中国のみならず,世界の古典であるが,それにたいする評価もさまざまである。しかし差別や抑圧が存在するかぎり,その普遍的意義は失われることはない。
執筆者:吉田 富夫
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中国の作家魯迅(ろじん/ルーシュン)の小説。1921年12月4日から1922年2月12日まで『晨報副刊(しんぽうふくかん)』に毎週あるいは隔週掲載された。発表時の署名は巴人(はじん)。のち作者の第一創作集『吶喊(とっかん)』(1923)に収める。正確な名もわからない日雇い農民の阿Qを主人公に、当時の中国民族の弱点である「精神勝利法」=奴隷根性に鋭い批判を加えるとともに、辛亥(しんがい)革命にひかれつつ、むしろそのなかで冤罪(えんざい)を着せられ処刑される阿Qの運命を書いて辛亥革命の本質を批判し、中国革命で真に救われるべきものはだれか、それを阻むのは何かを描き出した。中国近代文学の代表作といえる。
[丸山 昇]
『竹内好訳『阿Q正伝・狂人日記』(岩波文庫)』▽『丸山昇訳『阿Q正伝』(新日本出版社・新日本文庫)』
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魯迅(ろじん)の短編小説。1921年12月から翌年2月にかけて発表。阿Qはこの小説の主人公。彼はいかに虐げられても,常に勝利者と考えて自己満足し,ついにこのため死刑に処せられた。魯迅は阿Qの精神(精神勝利法)を当時の中国人の奴隷根性の典型として描いた。
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…彼等の作品は,五・四運動退潮期の時代を反映して,灰色の人生を描く傾向を強めていったが,その中にあって,魯迅の作品のみは時代の水準を抜いていた。名作《阿Q正伝》(1921)をはじめ,《吶喊(とつかん)》《彷徨》の二つの作品集に収められた諸作品には,暗い現実を凝視する作者の視線に,みずからをも現実に対する加害者の一人ととらえる苦い内省の思いが影を落とし,独特の深みのある世界を作った。こうした文学研究会の傾向に反発した郭沫若,郁達夫(いくたつぷ)などは創造社を組織し,芸術至上主義を唱えた。…
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