雀部郷
ささべごう
「和名抄」東急本に「散々倍」と訓ずる。天平勝宝二年(七五〇)五月一五日の造寺所公文(正倉院丹裏古文書)に「宝飫郡形原郷戸主雀部小虫戸口雀部御垣守」とある。
「三河国古蹟考」に「雀部方廃、今呼一宮近邑、曰篠目郷、是雀部之遺也」の説に始まり、宝飯郡一宮町の地をさすことについて諸説異論がない。「日本地理志料」には「一宮・豊津・橋尾・金沢・松原・大木・長山・足山田・西原諸邑、盖其地也」とする。豊川左岸の旧金沢村(現一宮町)を含むことについては問題が多い。金沢村は旧養父村と御薗村の合併したもので、八名郡の養父郷の故地と考えられ、河道の変遷も考えがたいので除くべきであろう。
雀部郷
ささいべごう
「和名抄」高山寺本は訓を欠き、東急本には「佐々伊部」と訓ずる。現佐波郡境町伊与久の十三宝塚遺跡からは「雀」とみられる刻字瓦が出土している。「日本地理志料」は旧境町を遺名とし、郷域もこの地に比定する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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