雲出村(読み)くもずむら

日本歴史地名大系 「雲出村」の解説

雲出村
くもずむら

[現在地名]津市雲出本郷くもずほんごう町・雲出島貫くもずしまぬき町・雲出長常くもずながつね町・雲出伊倉津くもずいくらづ

小森こもり村の東、雲出川河口左岸にある。長常に平安から鎌倉頃の集落遺跡宮間戸みやまど遺跡があり、和鏡が出土した。

この地はまず早くから伊勢神宮領であったと考えられている。「太神宮諸雑事記」の延長六年(九二八)四月一三日条に「一志神戸嶋抜御厨」として現れているのがその証拠で、一志神戸二八戸は「延喜式」にも記された伊勢神戸の基本的な封戸であり、おそらく神宮創祀以来、神戸として神宮に奉仕する人々がこのあたりに居住していたもの、として誤りない。しかも「当神戸者、是二宮御塩調備供進之所也」とあって、塩田を使って製塩を業としていた。鎌倉時代になると製塩の支配をめぐって争論が起きた。嘉元三年(一三〇五)閏一二月二三日付鎌倉幕府下知状写(四天王寺蔵如意宝珠御修法日記紙背文書)に「可令富樫介 法師法名 領知伊勢国拾伍箇所塩浜出羽太郎入道聖願跡事 右、為三毛七郎左衛門尉盛氏跡替、所被充行也(後略)」とある。飯野いいの多気たけ・三重・安濃あのう奄芸あんげ員弁いなべ各郡に地頭職などを有した富樫氏が、三毛盛氏跡の替りとして出羽聖願跡の雲出十五所じゆうごそ(現雲出長常町)の塩浜を幕府から宛行われた。なお、地名の十五所を塩浜の数一五ヵ所としたのは幕府の誤認と思われる。しかし、文保元年(一三一七)七月五日付六波羅施行状写(同文書)に「伊勢国十五所塩浜地頭富樫介家春法師法名定照今者死去代光定与永藤名下司雲出左衛門尉法師法名道蓮今者死去後家尼浄蓮相論、塩浜地子并浜弐段塩屋壱宇事 右、任正和五年十二月二日関東御下知、可致沙汰之状、如件」とある。

雲出村
くもいでむら

[現在地名]長岡市雲出町

西山丘陵より流れ出たくろ川が川西平野に流下する関門口に位置し、左側丘陵の扇状台地にあり、右岸白鳥しろとり村と対する。古くは黒川べりにあったが、近世中頃、用水の溢害を避けて現在地の芝山に移転した。正保国絵図に村名がみえ、高五七七石余で高田藩領。天和三年郷帳では高五〇〇石二斗余(うち山高四石・漆高六斗余)。以降の支配の変遷は関原新田に同じ。地内の曹洞宗香林こうりん寺は文安元年(一四四四)長尾信濃守頼景を開基とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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