日本歴史地名大系 「雲出村」の解説
雲出村
くもずむら
この地はまず早くから伊勢神宮領であったと考えられている。「太神宮諸雑事記」の延長六年(九二八)四月一三日条に「一志神戸嶋抜御厨」として現れているのがその証拠で、一志神戸二八戸は「延喜式」にも記された伊勢神戸の基本的な封戸であり、おそらく神宮創祀以来、神戸として神宮に奉仕する人々がこのあたりに居住していたもの、として誤りない。しかも「当神戸者、是二宮御塩調備供進之所也」とあって、塩田を使って製塩を業としていた。鎌倉時代になると製塩の支配をめぐって争論が起きた。嘉元三年(一三〇五)閏一二月二三日付鎌倉幕府下知状写(四天王寺蔵如意宝珠御修法日記紙背文書)に「可令富樫介 法師法名 領知伊勢国拾伍箇所塩浜出羽太郎入道聖願跡事 右、為三毛七郎左衛門尉盛氏跡替、所被充行也(後略)」とある。
雲出村
くもいでむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報