南北朝・室町初期の歌人。法名子晋明魏(ししんみょうぎ)。耕雲(こううん)あるいは耕雲山人(散人)と号す。後醍醐(ごだいご)天皇の忠臣師賢(もろかた)(文貞公)の孫、家賢(いえかた)(妙光寺内大臣)の子。初め父祖の跡を継いで南朝に参仕、内大臣に至る。その間「南朝三百番歌合(うたあわせ)」「南朝五百番歌合」などに参加、『耕雲千首』を詠み、『新葉和歌集』の編纂(へんさん)にも従事し、「三年(みとせ)まで乾(ほ)さぬ涙の藤衣こはまたいかに染むる袂(たもと)ぞ」(父の死の翌々年後村上(ごむらかみ)帝の崩に際しての詠)など25首入集。南北朝最末期に遁世上洛(とんせいじょうらく)して出家、応永(おうえい)年間(1394~1428)東山に隠棲(いんせい)、やがて将軍義持(よしもち)に信任され、伊勢(いせ)へ随行の紀行『耕雲紀行』もある。正長(しょうちょう)2年7月没。歌論書『耕雲口伝』などに宋(そう)代詩論と禅の影響があり、『源氏物語』その他古典の書写もある。
[福田秀一]
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南北朝~室町期の公卿。花山院家賢の子。南朝方の廷臣として内大臣の位まで昇り,後出家して臨済宗法灯派の僧となる。字子晋,諱(いみな)明魏。別号耕雲。足利義持に厚遇された。歌人としてよく知られ,その歌学は《耕雲口伝》に集約される。同書は経書および中国詩論の文言を駆使し,また渡唐天神信仰の原典《両聖記》を執筆するなど,和漢融合の思潮上注目すべき人物である。
執筆者:今泉 淑夫
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(小森正明)
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