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花山院長親 かざんいん ながちか

美術人名辞典の解説

花山院長親

室町前・中期の公卿・歌人。内大臣家賢の子。字は子晋、号は耕雲、法名は明魏。権中納言・文章博士等を歴任、従一位内大臣に進む。博覧の聞が高く歌道にも通じ、南朝遣臣でありながら室町将軍家にも厚遇された。『耕雲口伝』等数多くの家集・著作がある。正長2年(1429)歿。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

花山院長親 かざんいん-ながちか

?-1429 南北朝-室町時代の公卿(くぎょう),歌人。
花山院家賢(いえかた)の子。南朝の後村上・長慶・後亀山天皇につかえ,康応元=元中6年(1389)内大臣にすすむ。南北両朝が統一された明徳3=元中9年ごろに出家。歌道・国学の学殖ふかく,南朝遺臣ながら将軍足利義持に厚遇された。正長(しょうちょう)2年7月10日死去。字(あざな)は子晋。号は耕雲。法名は明魏。著作に「耕雲口伝」「耕雲千首」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

花山院長親

没年:永享1.7.10(1429.8.10)
生年:生年不詳
南北朝・室町期の公卿,歌人。父は内大臣家賢。字は子晋。南朝に仕え,貞治1/正平17(1362)年従三位となり権中納言,文章博士などを歴任し,従一位内大臣に累進。南北朝合一のころの明徳3/元中9(1392)年に出家。法名明魏。耕雲と号した。応永2(1395)年,京都東山の如住院に入り耕雲庵を構える。南朝の廷臣という経歴にもかかわらず,その教養から室町将軍足利義満,義教から重用され,和歌指南にも当たる。歌人としての名声が高く,『耕雲千首』『耕雲百首』などの和歌集,『耕雲口伝』などの歌論書も残している。<参考文献>井上宗雄『中世歌壇史の研究―南北朝期』,福田秀一『中世和歌史の研究』

(小森正明)

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世界大百科事典 第2版の解説

かざんいんながちか【花山院長親】

?‐1429(永享1)
南北朝~室町期の公卿。花山院家賢の子。南朝方の廷臣として内大臣の位まで昇り,後出家して臨済宗法灯派の僧となる。字子晋,諱(いみな)明魏。別号耕雲。足利義持に厚遇された。歌人としてよく知られ,その歌学は《耕雲口伝》に集約される。同書は経書および中国詩論の文言を駆使し,また渡唐天神信仰の原典《両聖記》を執筆するなど,和漢融合の思潮上注目すべき人物である。【今泉 淑夫】

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大辞林 第三版の解説

かざんいんながちか【花山院長親】

?~1429) 南北朝末期・室町初期の歌人・学者。号は耕雲。吉野朝の内大臣。歌壇の重鎮で、「新葉和歌集」の撰にも参加。著「耕雲千首」「耕雲口伝」「倭片仮名反切義解」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

花山院長親
かざんいんながちか

[生]?
[没]永享1(1429).7.10. 遠江?
南北朝時代~室町時代の歌人,学者。耕雲山 (散) 人,子晋明魏ともいう。父は正二位内大臣家賢 (いえかた) 。南朝に仕え,『新葉和歌集』の撰定に,宗良 (むねなが) 親王の相談役として関係。右大臣従一位にいたる。のちに出家して東山に耕雲庵を結び,歌論書『耕雲口伝』 (1408) などを残した。当時は二条派が歌壇を占めていたが,頓阿らに比べ,より自由な考え方を示した。実作には歌論ほどの自由さはみられないが,今川了俊正徹にいたる反二条派的な傾向の源をなすといわれる。『源氏物語』の書写,校訂のほか,仮名の起源,音韻を初めて説いた『倭片仮字 (やまとかたかな) 反切義解』の著述など国語学上の業績も多い。八十余歳で没。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

花山院長親
かざんいんながちか
(1350ころ―1429)

南北朝・室町初期の歌人。法名子晋明魏(ししんみょうぎ)。耕雲(こううん)あるいは耕雲山人(散人)と号す。後醍醐(ごだいご)天皇の忠臣師賢(もろかた)(文貞公)の孫、家賢(いえかた)(妙光寺内大臣)の子。初め父祖の跡を継いで南朝に参仕、内大臣に至る。その間「南朝三百番歌合(うたあわせ)」「南朝五百番歌合」などに参加、『耕雲千首』を詠み、『新葉和歌集』の編纂(へんさん)にも従事し、「三年(みとせ)まで乾(ほ)さぬ涙の藤衣こはまたいかに染むる袂(たもと)ぞ」(父の死の翌々年後村上(ごむらかみ)帝の崩に際しての詠)など25首入集。南北朝最末期に遁世上洛(とんせいじょうらく)して出家、応永(おうえい)年間(1394~1428)東山に隠棲(いんせい)、やがて将軍義持(よしもち)に信任され、伊勢(いせ)へ随行の紀行『耕雲紀行』もある。正長(しょうちょう)2年7月没。歌論書『耕雲口伝』などに宋(そう)代詩論と禅の影響があり、『源氏物語』その他古典の書写もある。[福田秀一]

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