零羊崎神社(読み)ひつじさきじんじや

日本歴史地名大系 「零羊崎神社」の解説

零羊崎神社
ひつじさきじんじや

[現在地名]石巻市湊 牧山

まき山山頂にあり、祭神は豊玉彦命。延喜式内社で、旧県社。例祭は五月八日と一〇月九日。社伝によれば応神天皇二年の創祀、勅命によって牡鹿おしか龍巻たつまき山に鎮祀された涸満瓊別神は、のちに零羊崎神に改まり、貞観元年(八五九)一月二七日従四位下に昇階(三代実録)藤原清衡の神宝献納(現存せず)、源頼朝の須賀市諸役御免の制札下賜(享保二年の奉行大町主計ら花押による須賀市制札あり)葛西清重・清経・宗清らの神剣献納(現存せず)などを伝え、中世には葛西氏領諸郡の総鎮守であったが、魔鬼山まきやま寺の後身にあたる長禅ちようぜん寺と零羊崎神社がしだいに習合し、近世には白山神社となり、牧山観音堂の鎮守地主神と化し、牧山観音堂は参詣客で賑った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「零羊崎神社」の意味・わかりやすい解説

零羊崎神社
ひつじざきじんじゃ

宮城県石巻(いしのまき)市大字湊(みなと)字牧山(まきやま)に鎮座。俗に牧山神社と称される。祭神は豊玉彦命(とよたまひこのみこと)。社伝によれば、応神(おうじん)天皇の勅願により東奥鎮護のためこの地に創祀(そうし)されたという。当地方有数の古社で、859年(貞観1)神階従四位下(じゅしいげ)に叙せられ、『延喜式(えんぎしき)』では名神(みょうじん)大社に列格した。中世以降、奥州藤原氏による神宝奉献、伊達(だて)氏による社領寄進など地方領主の崇敬を集めたが、とくに葛西(かさい)氏はその所領七郷の総鎮守として当社を厚く尊崇した。旧県社。例祭は5月8日。8月9日の夏祭に奉納される牡鹿法印神楽(おしかほういんかぐら)は国の無形民俗文化財に指定されている。また、境内社の三吉(さんきち)神社の神輿(みこし)が4年に一度牡鹿半島の60地区を巡幸する神事がある。

[高橋美由紀]

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