鞠生松原
まりふのまつばら
桑山の南、海岸線に沿った松原で、南に向島、西方に田島を望む景勝の地とされたが、江戸時代中期以降の開作で、海岸線がはるかに南下した。
康応元年(一三八九)三月、足利義満に従ってこの地を訪れた今川了俊はその「鹿苑院殿厳島詣記」に、
<資料は省略されています>
と付近の情景を記している。「ちいさき社」というのが松原鎮座の厳島神社であろう。
鞠生の名のみえるのは、天正一五年(一五八七)の細川幽斎「九州道の記」で「田じまの湊にてまりふのうらをみるに、網のおほくかけほしてあれば」として
<資料は省略されています>
という歌を詠んでいる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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鞠生松原
鞠生町に残っている中世までの海岸線の跡です。砂の上にはえた松が今でも残っています。室町時代には、大内義弘[おおうちよしひろ]が鞠生松原で、九州に向かう足利義満[あしかがよしみつ]をもてなしたと言われていたり、江戸時代の終わりには江戸幕府の軍との戦いに出る長州藩[ちょうしゅうはん]の軍が鞠生松原に集まったりと、歴史の舞台にも登場します。
出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報
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