飛香舎(読み)ヒギョウシャ

デジタル大辞泉 「飛香舎」の意味・読み・例文・類語

ひぎょう‐しゃ〔ヒギヤウ‐〕【飛香舎】

平安京内裏五舎の一。清涼殿の西北方にあり、中宮女御にょうごの住まい。庭に藤を植えてあったので藤壺ふじつぼともいう。

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精選版 日本国語大辞典 「飛香舎」の意味・読み・例文・類語

ひぎょう‐しゃ ヒギャウ‥【飛香舎】

[一] 平安京内裏の諸舎の一つ弘徽殿の西、後涼殿の北、凝華舎の南にあって、中宮・女御などが居住した。庭に藤樹があって藤壺とも呼ばれる。〔西宮記(史籍集覧所収)(969頃)〕
[二] 京都御所の北部中央にある建物朔平門西南、皇后宮御殿の北にあたる。寛政の内裏造営のさいに、飛香舎代としてはじめて復興した。現在の建物は安政再建。庭に藤を植えている。

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改訂新版 世界大百科事典 「飛香舎」の意味・わかりやすい解説

飛香舎 (ひぎょうしゃ)

平安宮の内裏五舎(飛香,凝花,襲芳,昭陽淑景の五舎)の一舎。〈ひこうしゃ〉〈ひぎょうさ〉ともいい,庭に藤を植えたので藤壺(ふじつぼ)とも称する。内裏の西北部で,凝花舎の南,弘徽殿(こきでん)の西に位置する。東西棟で,《拾芥抄》は桁行5間,梁行2間の身舎(もや)の四面に廂(ひさし)を付けると記すが,《大内裏図考証》は,12世紀の中山忠親の日記《山槐記》に基づき,5間・2間の身舎に四面廂と東・西・北の3面に孫廂を付ける建物に復元する。清涼殿の西の後涼殿,凝花舎とそれぞれ渡廊で結ばれる。五舎の中で天皇の居所の清涼殿に最も近いので,中宮や女御の居所とされ,有名な人物では藤原道長の女で一条天皇の女御の彰子(のちの上東門院)が居した例があり,彼女は藤壺女御と称された。818年(弘仁9)以降に造営されたと伝え,902年(延喜2)藤花の宴を催したという史料がその存在を確認できる早いものである。18世紀末の寛政度の内裏,および19世紀半ばの安政度に造営された京都御所には五舎のうち飛香舎のみが復興された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「飛香舎」の意味・わかりやすい解説

飛香舎
ひぎょうしゃ

平安京内裏 (だいり) 五舎の一つ。「ひぎょうさ」「ひこうしゃ」とも読み,庭に藤が植えられていたため藤壺ともいう。女御の住居であるとともに,女御入内の儀が行われたことで名高く,内裏五舎のうちこの建物だけは現在京都御所内に保存されている。

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百科事典マイペディア 「飛香舎」の意味・わかりやすい解説

飛香舎【ひぎょうしゃ】

藤壺(ふじつぼ)

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世界大百科事典(旧版)内の飛香舎の言及

【飛香舎】より

…818年(弘仁9)以降に造営されたと伝え,902年(延喜2)藤花の宴を催したという史料がその存在を確認できる早いものである。18世紀末の寛政度の内裏,および19世紀半ばの安政度に造営された京都御所には五舎のうち飛香舎のみが復興された。【今泉 隆雄】。…

※「飛香舎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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