平安京大内裏の考証書。江戸後期の有職故実(ゆうそくこじつ)家裏松光世(うらまつみつよ)(法名固禅(こぜん)、1736―1804)の労作。光世は宝暦(ほうれき)事件で失脚したのち、平安時代の古儀の研究に没頭した。本書はその最大の成果である。内容は、大内裏を構成する殿舎などを中心に、位置、構造、変遷などを豊富な史料で詳細に考証し、現代でも平安京の研究に大きな影響を与えている。
1788年(天明8)焼亡した内裏の再建にはこの研究が取り入れられ、紫宸(ししん)殿などの殿舎が平安の様式でつくられた。内裏完成後の1797年(寛政9)、朝廷の命令により30巻50冊(目録三冊を含む)の清書本を献上した光世は、その後も校訂や続編の執筆を続けた。『増訂故実叢書(そうしょ)』所収の「考証」は、光世の死後内藤広前(ひろさき)が校訂したもので、続編の一部も収められている。
[吉田早苗]
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…このような大内裏図が記され,貴族の家々に伝えられるようになったのは,平安中期以後,しばしば火災にあい,宮の全貌がわからなくなる恐れが生じたためであろう。大内裏図の考証としては,江戸時代に裏松光世(固禅)が,《大内裏図考証》32巻としてこれらの絵図,古記録をもとに復元考証したものがある。なお,大内裏はもと皇居としての内裏の美称であったが,のちに両者を区別し前者を宮城,後者を狭義の内裏として使用するようになったと考えられる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」