飯島新田(読み)いいじましんでん

日本歴史地名大系 「飯島新田」の解説

飯島新田
いいじましんでん

[現在地名]新発田市飯島新田・砂山すなやま

下興野しもごうや村の西、太田おおた新田の南に位置する。寛文七年(一六六七)と推定される新発田藩の御領内見分之書付(貴船家文書)七戸・二三人とある。のち幕府領となり、宝暦七年(一七五七)の番水取極取替証文(新発田市史資料)によると、当村を含む幕府領の五村と新発田藩領の二村とで用水相論が生じている。安永四年(一七七五)の万雑聞書(白勢京子氏蔵)に、納石一六九石四斗余(このうち六石七升無開発石除)で、廻米関係費用や水原すいばら代官所役人の送迎などに関する郡中入用が三貫九八一文、庄屋方の筆・墨・紙や水原詰宿払などの村入用が一三貫九二文、往来橋など自普請入用二貫九〇〇文などとある。

飯島新田
いいじましんでん

[現在地名]吉見町飯島新田

大和屋やまとや新田の西、市野いちの川の左岸に位置する。同川を挟み南は比企郡松永まつなが(現川島町)、西は荒子あらこ村。六ヵ新田と同様に荒川右岸の低地を開発して成立した新田村で、地名は飯島惣左衛門なる者が当地を開墾したことに由来するという(風土記稿)元禄郷帳では高三八七石、国立史料館本元禄郷帳では幕府領、以降も同領で幕末に至ったと思われる(「郡村誌」など)

飯島新田
いいじましんでん

[現在地名]白根市飯島新田

沖新保おきしんぼ新田の東、庄瀬しようぜ村の北西に位置する。近世を通じて新発田藩領。鎮守諏訪神社は正保四年(一六四七)創立という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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