日本大百科全書(ニッポニカ) 「首都移転問題」の意味・わかりやすい解説
首都移転問題
しゅといてんもんだい
東京への一極集中の弊害を是正、国土の均衡ある発展を促すため、国会や中央官庁など首都の中心機能を地方に移転させようというもの。
首都機能移転の検討は1960年代から断続的に行われてきたが、90年(平成2)に、政府は首相と国土庁長官(現国土交通大臣)のそれぞれの諮問機関を設置して本格検討に着手した。1992年6月に国土庁長官の私的諮問機関「首都機能移転問題に関する懇談会」が、政治・行政機能に限定した人口60万人程度の新首都を東京から60キロメートル以遠に建設し、東京は経済・文化の中心都市とするという最終報告を公表した。翌7月には、首相の私的諮問機関「首都機能移転問題を考える有識者会議」が、移転のための法律の早期制定などを求める提言をまとめた。1992年12月には「国会等の移転に関する法律」(国会等移転法)が成立、この法律に基づいて、政府に「国会等移転調査会」がつくられ、95年12月に最終報告をまとめた。これを受け、1996年6月に改正国会等移転法が成立、12月に国会等移転審議会が発足した。同審議会は3年間議論し、会長の森亘(わたる)(東京大学名誉教授)が1999年12月20日、首都機能移転先候補地の選定結果を首相小渕恵三に答申した。それによると、候補地は、(1)「栃木・福島地域」(栃木県那須(なす)地域と福島県阿武隈(あぶくま)地域)、(2)「岐阜・愛知地域」(岐阜県東濃地域と愛知県西三河北部地域)の2地域で、さらに「三重・畿央(きおう)地域」(三重県鈴鹿山麓(すずかさんろく)地域と三重、滋賀、京都、奈良の4府県にまたがる畿央地域)も条件つきで「移転先候補地となる可能性がある」としている。
この答申後、検討の場は国会の「国会等移転特別委員会」に移ったが、審議会が候補地を一つに絞りきれなかったため、地域の利害がぶつかりあう国会での移転先決定は困難とみられている。さらに、バブル経済崩壊後の厳しい経済情勢の下で、莫大(ばくだい)な費用をかけて国会、中央省庁などを移転、建て替える計画自体に対しても疑問視する声が強まっている。
[橋本五郎]