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馮友蘭 ひょうゆうらん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

馮友蘭
ひょうゆうらん

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馮友蘭
ふうゆうらん
Feng You-lan

[生]光緒21(1895).12.4. 河南
[没]1990.11.26
中国の哲学者。「ひょうゆうらん」とも読む。河南省唐河県の人,字は芝生 (しせい) 。北京大学卒業後アメリカに留学,プラグマティズムを学ぶ。帰国して中山大学,清華大学などの教授を歴任。初めて中国人による『中国哲学史』 (1934) を完成。その後『新理学』 (39) などを発表し宋学を整理。中華人民共和国成立にあたり自己批判したが,「文化革命」中に観念論者として批判された。マルクスレーニン主義毛沢東思想の立場から旧著を改めて『中国哲学史新編』 (64) を出した。著書は上記のほか『人生哲学』 (26) ,『新世訓』 (40) ,『新原道』 (45) ,『中国哲学論文集』 (58) など。

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百科事典マイペディアの解説

馮友蘭【ふうゆうらん】

中国の哲学者。河南省南陽の出身。1915年北京大学に入学し中国哲学を学び,19年,アメリカに留学,コロンビア大学で学位取得。帰国後,広東大学,燕京大学をへて精華大学教授。
→関連項目新儒家

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

馮友蘭
ふうゆうらん / フォンユーラン
(1895―1990)

中国の哲学者、哲学史家。河南省唐河県の人。字(あざな)は芝生(しせい)。三松堂は寓居(ぐうきょ)の名。北京(ペキン)大学卒業後、アメリカのコロンビア大学で、デューイの指導のもと、哲学博士号を取得。帰国後、中州、燕京(えんきょう)、清華(せいか)、西南聯合(れんごう)大学などで教授を務め、1952年から北京大学哲学系教授。抗日戦争期に『新理学』(1939)をはじめとする六部作を発表、太明(たいみん)学等の伝統哲学に基づく新たな哲学体系を築こうとした。1933年の『中国哲学史』も、英訳(Derk Bodde訳A History of Chinese Philosophy, 1952, Princeton Univ. Press)が欧米で読まれているなど、影響が大きいが、新中国成立後、マルクス主義の観点による『中国哲学史新編』に着手し、文化大革命で中断したものの、1982年から改めて刊行、個人による最大の中国哲学史となった。[高橋忠彦]
『『中国哲学史新編』全7冊(1964刊行開始/修訂本・1982~1986・人民出版社) ▽『三松堂自序』(1984・生活・読書・新知三聯書店) ▽『三松堂学術文集』(1984・北京大学出版社) ▽『三松堂全集』全14巻(1986~2001・河南人民出版社)』

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世界大百科事典内の馮友蘭の言及

【中国】より

…しかし宋学はそれを合理化することに力を注いできた。現代中国の代表的哲学者・哲学史家馮友蘭(ふうゆうらん)(北京大学)は宋学の伝統に立つことを明確に表明しつつ,人間の〈境界〉として自然境界,功利境界,道徳境界,天地境界の四者をあげ,哲学の使命は人間を最高の境界,天地(と合一する)境界,にみちびくことにあるとしているが,それは道徳境界よりも高次なものでありながら,しかも決定的にラショナルであくまで非宗教的なものであると力説している。ヨーロッパでも日本でも哲学の上には宗教という一層があり,哲学の窮極は宗教に通ずるというふうに説かれることが多いが,その点,馮友蘭の説ははなはだ異色というべきであろう。…

※「馮友蘭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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