日本大百科全書(ニッポニカ) 「馮友蘭」の意味・わかりやすい解説
馮友蘭
ふうゆうらん / フォンユーラン
(1895―1990)
中国の哲学者、哲学史家。河南省唐河県の人。字(あざな)は芝生(しせい)。三松堂は寓居(ぐうきょ)の名。北京(ペキン)大学卒業後、アメリカのコロンビア大学で、デューイの指導のもと、哲学博士号を取得。帰国後、中州、燕京(えんきょう)、清華(せいか)、西南聯合(れんごう)大学などで教授を務め、1952年から北京大学哲学系教授。抗日戦争期に『新理学』(1939)をはじめとする六部作を発表、太明(たいみん)学等の伝統哲学に基づく新たな哲学体系を築こうとした。1933年の『中国哲学史』も、英訳(Derk Bodde訳A History of Chinese Philosophy, 1952, Princeton Univ. Press)が欧米で読まれているなど、影響が大きいが、新中国成立後、マルクス主義の観点による『中国哲学史新編』に着手し、文化大革命で中断したものの、1982年から改めて刊行、個人による最大の中国哲学史となった。
[高橋忠彦 2016年3月18日]
『『中国哲学史新編』全7冊(1964刊行開始/修訂本・1982~1986・人民出版社)』▽『『三松堂自序』(1984・生活・読書・新知三聯書店)』▽『『三松堂学術文集』(1984・北京大学出版社)』▽『『三松堂全集』全14巻(1986~2001・河南人民出版社)』