デューイ(読み)でゅーい(英語表記)George Dewey

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デューイ」の意味・わかりやすい解説

デューイ(John Dewey)
でゅーい
John Dewey
(1859―1952)

アメリカの哲学者、教育学者。10月20日バーモント州バーリントンに生まれる。バーモント大学、ジョンズ・ホプキンズ大学に学び、やがてミシガン大学哲学科教授(1889)、シカゴ大学教授(1898)となった。シカゴ大学では自分の思想に基づく実験学校を7年半にわたって経営し、哲学上ではいわゆるシカゴ学派の中心人物として活動した。1904年コロンビア大学に移り、以後退職(1930)に至るまで哲学教授の地位にとどまった。思想的な活動範囲が広く、哲学、教育学をはじめ、倫理学、社会哲学、心理学、およびサッコ‐バンゼッティ事件での被告擁護の立場にみられるような市民的自由のための言論や活動にも及んだ。1920年代には中国、日本、トルコメキシコ、ソ連(当時)などを訪問し、各国の教育思想に強い影響を及ぼした。

 思想的には当初ヘーゲルの影響が強かったが、やがてウィリアム・ジェームズによってプラグマティズム、つまり、思考や思想の意味を実際的な結果に関係づけて決定するという立場に導かれた。これがやがて独特の実験主義experimentalismまたは道具主義instrumentalismとよばれるものに発展した。これは、一般に観念は不確定な問題状況を解決するための仮説、実験的な計画であり、したがって知識というのも、事物を有効に処理するための手段instrumentとみなすという考え方である。この考え方は当然、哲学上のいわゆる合理主義的な存在論の伝統に対しては、際だって経験主義的な特徴をもつ。その意味で経験の哲学philosophy of experienceともよばれる。しかし、デューイの「経験」は、生活体と環境との間で経験が生ずるという通常の二元論的な考え方に対しては、むしろ一元的な「働きとしての経験」、つまり、経験における相互作用interactionと継続性continuityを重んずるものであり、その意味でまた「動的一元論」ともよばれる。

 彼のこうした思想は、おそらく彼の最大の関心事であった教育問題に関してもっとも影響力をもつ形で展開された。教育は「経験の意味を増し、また後に続く経験の過程を導く能力を増加するところの経験の再構造化reconstructionないし再組織化reorganizationである」と説明される。その意味でそれは生活体の成長growthであるともいわれる。こうして教育は、従来ともすれば陥りがちであった知識中心でもなく、環境中心でもなく、教師中心でもなく、児童中心ですらないところの、いわば生活中心、成長中心であるべきものとして強調された。また、方法的には、子供の自発的な興味と活動、作業による学習、問題解決としての学習などが重視された。こうして、一般的に知識においても社会生活においても、絶対主義absolutism的な考え方や態度が排除されて、かわって実験主義的で民主主義的な考え方や態度の育つことが期待されたのである。

 著作は数多いが、日本でよく知られている『民主主義と教育』(1916)、『学校と社会』(1899)、『経験と教育』(1938)などのほか、『心理学』(1887)、『倫理学』(共著・1908)、『哲学の再建』(1920)、『人間性と行為』(1922)、『確実性探究』(1929)などがある。1952年6月1日没。

[村井 実]

『植田清次訳『確実性の探究』(1950/改訂版・1963・春秋社)』『松野安男訳『民主主義と教育』(岩波文庫)』『宮原誠一訳『学校と社会』(岩波文庫)』『市村尚久訳『経験と教育』(講談社学術文庫)』


デューイ(George Dewey)
でゅーい
George Dewey
(1837―1917)

アメリカの海軍軍人。1858年アナポリス海軍兵学校を卒業、南北戦争に従軍した。84年海軍大佐に昇進し、95年から海軍省調査局長となった。97年秋、T・ルーズベルトらの推挙でアジア艦隊司令官として極東へ派遣され、スペインとの開戦に備えた。98年初頭、長崎、横浜に寄港後、香港(ホンコン)に集結、同年4月アメリカ・スペイン戦争が勃発(ぼっぱつ)するや艦隊を率いてフィリピンに向かい、5月1日マニラ湾海戦でスペイン艦隊を撃破した。一方、フィリピン独立運動の指導者アギナルドを援助し、マニラ攻略に利用した。フィリピン領有後は、99年春、同群島の実情調査のために派遣されたシュアーマン委員会に参加、同年海軍提督となり帰国し、以後終生、海軍作戦局長(1900~17)を務めた。

[高橋 章]


デューイ(Thomas Edward Dewey)
でゅーい
Thomas Edward Dewey
(1902―1971)

アメリカの政治家。ミシガン州に新聞発行人の子として生まれる。ミシガン大学、コロンビア大学卒業。ニューヨーク地方検事補、同検事を歴任、組織犯罪の摘発で辣腕(らつわん)を振るう。1938年ニューヨーク州知事選に出馬、1940年には共和党大統領候補の指名獲得を目ざすが、ともに失敗。1942年同州知事に当選、以後3期在任する。この間、共和党の大統領候補としてJ・F・ダレス、W・オルドリッチとの連携のもと1944年、1948年と二度大統領選挙戦に挑むが、F・D・ルーズベルト、トルーマンに敗れる。1948年の選挙戦では、ほとんどすべての世論調査・政治消息通がデューイの勝利を予測し、日刊紙『シカゴ・トリビューン』が「デューイ勝利」の誤報を流したことは有名。1954年政界を退き弁護士生活に入った。

[牧野 裕]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デューイ」の意味・わかりやすい解説

デューイ
Dewey, John

[生]1859.10.20. バーモント,バーリントン
[没]1952.6.1. ニューヨーク
プラグマティズムに立つアメリカの哲学者,教育学者,心理学者。哲学のプラグマティズム学派創始者の一人,機能心理学の開拓者,アメリカの進歩主義教育運動の代表者。バーモント州立大学卒業後ジョンズ・ホプキンズ大学で心理学者 G.ホール,哲学者 C.パースなどに学んだ。 1888~1930年ミネソタ,ミシガン,シカゴ,コロンビアの各大学教授を歴任。その間日本,中国,トルコ,メキシコ,ソ連などを旅行し社会改革の実情を視察した。またトロツキー査問委員会委員長,アメリカ平和委員会の一員として政治的,社会的にも活躍。その哲学の特色は,伝統的哲学の絶対性や抽象的思弁を排し,哲学的思考は経験によって人間の欲求を実現するための道具であり,哲学的真理は善や美と並ぶ目的価値ではなく,それらを実現するための手段とみなすところにある。このインストルメンタリズムと呼ばれる立場を教育学に応用して進歩主義教育の理論を確立,その他政治学,社会学,美学などの分野にも貢献した。主著『心理学』 Psychology (1887) ,『民主主義と教育』 Democracy and Education (1916) ,『経験と自然』 Experience and Nature (25) ,『確実性の探求』 The Quest for Certainty (29) ,『人間の問題』 Problems of Men (46) など。

デューイ
Dewey, George

[生]1837.12.26. バーモント,モントピリア
[没]1917.1.16. ワシントンD.C.
アメリカの海軍軍人。 1858年海軍兵学校卒業。 61年海軍中尉。南北戦争にはニューオーリンズの戦い,ハドソン港の攻撃などに参加。 72年海軍中佐,96年海軍准将となった。 97年アジア艦隊司令長官となり,艦隊とともにホンコンに停泊中,98年4月アメリカ=スペイン戦争が始り,ただちにフィリピン沖に停泊中のスペイン艦隊を追ってマニラ湾でこれを全滅させ,完勝した。その後,8月 13日の陸軍部隊によるマニラ占領を支援。 99年海軍大将に昇進。

デューイ
Dewey, Melvil

[生]1851.12.10. アダムズセンター
[没]1931.12.26. レークプラシド
アメリカの図書館員。 1874年アマースト大学を卒業後,同大学の図書館員となった。 77年ボストンに移り"Library Journal"誌を創刊,アメリカ図書館協会の創立に参加。 83年ニューヨークのコロンビア大学の図書館員となり,同所にアメリカ最初の図書館学の学校を創立した。この学校はのちにオールバニに移り,州立図書館学校となった。 89~1906年ニューヨーク州立図書館長として多くの改革をし,巡回図書館や絵画収集の制度を創設した。 1876年に提案された「デューイ十進分類法」は広く利用されている。

デューイ
Dewey, Thomas Edmund

[生]1902.3.24. ミシガン,オウォソー
[没]1971.3.16. フロリダ,バルハーバー
アメリカの政治家,法律家。ミシガン大学,コロンビア大学院卒業後,弁護士開業。その後合衆国検事となり,1935~37年のニューヨークの組織犯罪の摘発で国民的名声を博した。 42,46,50年共和党からニューヨーク州知事に3選,雇用上の差別撤廃のための州機関の設置など行政手腕を高く評価された。 44,48年の2度共和党の大統領候補に指名されたが,民主党の F.ルーズベルトと H.トルーマンにそれぞれ敗れた。 55年政界を引退し弁護士活動に復帰。 59~62年日本貿易振興会顧問弁護士。

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