コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

高井鴻山 たかい こうざん

3件 の用語解説(高井鴻山の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

高井鴻山

幕末・明治の豪農。信濃小布施生。市村隅太郎の子。名は健、字は士順、通称を三九郎。京都で書を貫名海屋、画を岸駒父子、詩文を梁川星巌、儒学を佐藤一斎に学ぶ。大塩平八郎佐久間象山とも交遊し、晩年の葛飾北斎を小布施に招いた。一方、窮民の救済に尽力し、尊王攘夷公武合体を唱えた。維新後、高矣義塾を開く。明治16年(1883)歿、78才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

たかい‐こうざん〔たかゐ‐〕【高井鴻山】

[1806~1883]幕末・明治初期の陽明学者。信濃の人。本名、市村健。京都で梁川星巌(やながわせいがん)に、江戸で佐藤一斎に師事。攘夷(じょうい)論公武合体論を唱えた。明治維新後、東京・長野に高矣義塾(たかいぎじゅく)を開いた。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高井鴻山 たかい-こうざん

1806-1883 江戸後期-明治時代の豪農。
文化3年生まれ。京都で梁川星巌(やながわ-せいがん),江戸で佐藤一斎に儒学をまなぶ。天保(てんぽう)7年の飢饉には信濃(長野県)小布施に帰郷して窮民を救済した。詩文,書画をよくし,晩年の葛飾北斎(かつしか-ほくさい)を小布施にまねいた。維新後,東京と長野に高矣(たかい)義塾をひらいた。明治16年2月6日死去。78歳。本姓は市村。名は健。字(あざな)は子順。通称は三九郎。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

高井鴻山の関連キーワード八木奇峰青山勘四郎入谷澄士昇斎一景関直吉長野静恵那須拙速服部善七松本良甫山田宗寿

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone