高倉徳太郎(読み)たかくらとくたろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高倉徳太郎
たかくらとくたろう

[生]1885.4.23. 綾部
[没]1934.4.3. 東京
牧師,神学者。 1906年第四高等学校を経て東京帝国大学法科に入学したが,植村正久富士見町教会で受洗後,伝道者になるために退学して東京神学社に入る。京都,札幌牧会につとめたのち 18年母校教授,25年同校長。信濃町教会創立者。 30年福音同志会を結成し,雑誌『福音と現代』を創刊,福音的キリスト教を唱え,弁証法神学などを受入れる素地をつくった。『高倉徳太郎全集』 (10巻,1936) がある。

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百科事典マイペディアの解説

高倉徳太郎【たかくらとくたろう】

プロテスタントの牧師神学者。東大法科在学中植村正久に導かれて受洗。東京神学社に入学,のち渡英してエディンバラ大学などで神学を学ぶ。1925年戸山教会を設立,1930年日本神学校教頭。主著《福音的基督教》(1927年),雑誌《福音と現代》などで,説教と神学を重視する福音的キリスト教を説いた。
→関連項目赤岩栄長老派教会

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高倉徳太郎 たかくら-とくたろう

1885-1934 大正-昭和時代前期の神学者,牧師。
明治18年4月23日生まれ。東京帝大在学中に植村正久より受洗,大学を中退して東京神学社に入学。各地の牧師をへて東京神学社の教授となり,大正14年校長。戸山教会(のちの信濃町教会)を設立,福音的キリスト教を唱道するが,昭和9年4月3日自殺した。50歳。京都出身。著作に「福音的基督(キリスト)教」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

たかくらとくたろう【高倉徳太郎】

1885‐1934(明治18‐昭和9)
代表的なプロテスタント神学者。植村正久より洗礼を受け,東京帝国大学を中退して東京神学社に入学。札幌北辰教会などを経て,東京神学社教授,同校長,戸山教会(後の信濃町教会)牧師を歴任した。教会と神学の伝統の未熟な日本にあって,ヨーロッパの神学を咀嚼(そしやく)しながら,神学的思惟を確立した。《福音的基督教》(1927)によって,罪と恩寵を強調する贖罪的神学を展開し,あわせて聖書的,福音的説教による教会形成の道を開拓した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高倉徳太郎
たかくらとくたろう
(1885―1934)

プロテスタントの牧師、神学者。京都府綾部(あやべ)に生まれる。東京帝国大学独法科在学中に植村正久(うえむらまさひさ)により富士見町教会で受洗。大学を中退して東京神学社に入学、卒業後は各地の牧師を経て東京神学社の教授となる。イギリス留学より帰国後、東京・柏木(かしわぎ)に戸山教会(現、信濃(しなの)町教会)を設立、独自の神学的説教により、日本有数の優れた教会へと発展させた。植村の没後、東京神学社校長、日本神学校教頭などを歴任するが、心身の過労により死に至る。彼は植村らに続く典型的な2代目キリスト者であり、その生涯は一貫して自我の問題との苦闘の連続であった。恩寵(おんちょう)による贖罪(しょくざい)の福音(ふくいん)をとくに強調する彼の福音的キリスト教は、昭和初期の日本に初めて神学的な覚醒(かくせい)と方向づけとをもたらした点で高く評価される。主著に『福音的キリスト教』がある。

[石川 都 2018年3月19日]

『『高倉徳太郎著作集』全5巻(1964/オンデマンド版・2005・新教出版社)』

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