高城郡(読み)たきぐん

日本歴史地名大系 「高城郡」の解説

高城郡
たきぐん

薩摩国北西端、川内せんだい川北岸を占め、近世の郡域は東・南は薩摩郡、北は出水いずみ郡に接し、西は海(東シナ海)に面した。現川内市の北半にあたる。

〔古代〕

和名抄」名博本はタカキと読み、同書東急本国郡部は「太加木」の訓を付す。郡名は唱更国司らが国内要害の地に設置を要請し許可された柵や戍(「続日本紀」大宝二年一〇月三日条)に由来するとする説もある。「和名抄」には合志かわし飽多あきた鬱木うつき宇土うと新多にいた託万たくまの六郷を載せるが、このうち合志・飽多・宇土・託万は肥後国の郡名に一致するため、これらの郡から計画的な移民が行われたことがわかる。薩摩国府は当郡に置かれ、川内市の国指定史跡薩摩国分寺跡の西側に隣接する国分寺こくぶんじ町から御陵下ごりようした町の一帯に比定する説が一般的であるが、それに先行する施設を同市高城町屋形原やかたがはらに求める説もある。国分寺の瓦や須恵器を焼いた鶴峯つるみね窯跡は、国分寺跡の東約一キロに位置する。天平八年(七三六)の薩摩国正税帳(正倉院文書)の現存する一二〇行のうち、当郡分が八〇行を占める。同帳中間表示の一部と郡司位署を除く部分が伝わっており、「隼人一十一郡」にかかわる財政支出の大部分を当郡が支出していたらしい。そこで当郡の記載内容を分析することで、当郡の財政状況ばかりでなく薩摩国の財政状況や隼人支配の実態の大要を知ることができる。そのいくつかを具体的に示すと、元日朝拝や一月一四日に全国で行われる読経、春と秋の釈奠などが薩摩国でも行われていることがわかる。また「糒壱仟弐伯陸拾壱斛」の下にみえる「養老四年」の注記は、当郡が養老四年(七二〇)の隼人の反乱に際して、政府軍の兵站基地としての役割を担ったことを示している。酒については、「酒壱拾陸斛弐斗合」の記載の下に「充隼人一十一郡六斛九斗一升八合 当郡九斛三斗五升九合」という注記があり、河辺郡の「酒斗弐升参合」という記載に「高城郡酒者」の注記が施されていることから、隼人十一郡の酒はすべて当郡で用意されていたことがわかる。また国司による国内視察費用についても、一般には各郡が分担支出するのであるが、薩摩国ではすべて高城郡の支出となっており、当郡が隼人十一郡支配で担った役割の大きさがわかる。さらにこの正税帳には遣唐使の第二船に米七五束六把と酒五斛三斗を供給したことが記載されており、この船が川内川河口付近に停泊した可能性を示している。

高城郡家の位置は、高城町麓の本町もとまちか上川内駅付近の屋形原付近であったとする説がある(川内市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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