日本歴史地名大系 「高屋城跡」の解説
高屋城跡
たかやじようあと
石川下流西岸、東高野街道と
「大乗院寺社雑事記」明応二年(一四九三)三月一日条に「敵方畠山次郎基家之高屋城、誉田与其間三里也」とみえる。しかし事実上高屋城をさすと思われる文献史料はこれよりやや古い。南北朝末期に畠山氏が河内守護として入国して以来、その本城である守護所は
高屋城跡
たかやじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報