大正・昭和期の洋画家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
洋画家。神奈川県平塚市に生まれる。本名正夫。関西大学在学中の1923年,第2回春陽会展に初入選し,三岸好太郎,横堀角次郎らと麓人社を結成して絵画修業にはげむ。岸田劉生の感化をうけて草土社スタイルの土着的な作品を描くが,30年に渡欧し,おもにモロッコ,アルジェリアに滞在,その体験とゴヤの作品に魅了されて画風を一変する。《闘牛》をはじめ滞欧作23点を33年第11回春陽会に出品。その後,38,39年に中国旅行を試み,日本の古美術に対する関心を深め,鑑識眼の高い蒐集家としても知られる。戦後は独立美術協会に移り,同会の中心的存在として活躍。50年代から《段々畠》の連作や静物画あるいは《ピカドール》の連作などを描く。形態の単純化と同時に,油絵具の油性をおさえた独自の画肌(マチエール)を開発。内外の国際的な展覧会にも出品し,59年には第10回毎日美術賞を受賞している。抑制のきいた色調と重厚な画肌をもつ作品は,日本における油彩画の一典型として評価され,須田国太郎とともにスペイン絵画系列に組み入れられる画家となっている。
執筆者:酒井 忠康
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
洋画家。明治35年3月4日神奈川県平塚に生まれる。本名正夫。1927年(昭和2)関西大学経済学部を卒業。在学中から春陽展に出品し、連続して春陽会賞を受けたのち、30~33年渡欧してパリを中心に各国を巡遊する。帰国して春陽会会員となるが、43年に退会して独立美術協会の会員となる。浮世絵、古美術、陶器に関心を深め、重厚な画肌と渋い彩調の雅趣で知られる。55年度(昭和30)芸術選奨文部大臣賞を受賞。58年現代日本美術展に『ピカドール』を出品して最優秀賞、翌年毎日美術賞を受ける。その間第4回サンパウロ・ビエンナーレ展に出品のほか、世界各地に取材の旅行を重ねた。昭和47年6月11日東京で没。
[小倉忠夫]
『佐々木靜一解説『現代日本の美術11 鳥海青児他』(1975・集英社)』
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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