鳥羽作道(読み)とばのつくりみち

百科事典マイペディア 「鳥羽作道」の意味・わかりやすい解説

鳥羽作道【とばのつくりみち】

平安京羅城(らじょう)門から真南に走る道で,鳥羽を経てに至る。《徒然草》によると10世紀以前から存在していた。この道を北に延長すると朱雀(すざく)大路(平安京の中心線)に重なることから,遷都以前から存在し,これが平安京の中心線を決定したという説もあるが,むしろ造都時に淀津から資材を搬入するために造られた道とみる方が妥当であろう。院政期に鳥羽離宮鳥羽殿)が営まれると,洛中と鳥羽を結ぶ重要な道路となり,鳥羽の西大路とも称された。

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改訂新版 世界大百科事典 「鳥羽作道」の意味・わかりやすい解説

鳥羽作道 (とばのつくりみち)

平安京朱雀大路南端羅城門から正南方向,洛南鳥羽から淀へ通じていた道路。〈造道〉とも記す。平安遷都以前からの古道とみて,これを北へ延長して平安京域の中心線=朱雀大路を定めたとする理解もあるが,むしろ造都以後につくられた道であろう。あるいは造都時に淀川からの物資搬入に使用された,一種の産業道路であったともみられる。《徒然草》は,〈鳥羽の作り道は,鳥羽殿建てられて後の号(な)にはあらず。古よりの名なり。元良(もとよし)親王(陽成天皇皇子,943没),元日の奏賀の声,甚だ殊勝にして,大極殿より鳥羽の作道まで聞えけるよし,李部王(醍醐天皇皇子,重明(しげあきら)親王,954没)の記に侍るとかや〉という逸話を伝えている。白河上皇により鳥羽殿が営まれてからは〈鳥羽の西大路〉とも呼ばれ,離宮へ至る表街道となり,この道を南下し淀から舟で淀川を下るコースが利用された。現在は旧観をほとんど失っている。
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