(読み)よど

  • ×淀/×澱
  • よど・める

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

京都市伏見区の一地区。古く与等,与杼とも書かれた。市域の南端部,宇治川北岸に位置。旧町名。 1957年京都市に編入。京都競馬場の所在地として知られる。江戸時代には宇治川,木津川桂川がこの付近で合流し,河川水運の要地であった。また豊臣秀吉によって淀城が築かれ,城下町としても発展した。旧河床,自然堤防を利用して近郊野菜を栽培。近年,宅地化が進む。

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百科事典マイペディアの解説

京都市伏見区の一地区。桂川と宇治川の合流点付近にある古来の要地で,1587年豊臣秀吉が補修し淀君を住まわせた淀城があり,淀川水運の河港として栄えた。伏見城築城,伏見港開設により衰微。近年宅地化が著しい。淀城跡,京都競馬場がある。
→関連項目加納藩鳥羽作道

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世界大百科事典 第2版の解説

京都市伏見区の地名。かつては木津川,宇治川,桂川の三川合流地点,淀川起点にあたり,山陽・南海両道の諸国貨物の奈良・京都への陸揚港として栄え,淀津(よどのつ)といわれた。現在の淀水垂(みずたれ)町,淀大下津(おおしもづ)町,納所(のうそ)町あたりである。
[古代,中世
 《日本後紀》は804年(延暦23)桓武天皇の〈与度津〉行幸を記しており,平安京の設置によって重要性が高まったことがわかる。9世紀以降,淀津は山崎津(山城),大津(近江)とともに,畿内の重要港津として検非違使庁の管轄下に入れられ,津政所がおかれ,津刀禰(とね)が現地管理の仕事をしていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

京都市伏見(ふしみ)区南西部の一地区。旧淀町で、1957年(昭和32)伏見区に編入。宇治(うじ)川、桂(かつら)川、旧木津(きづ)川の三川の合流点にあたり、標高11メートルの低湿地をなしている。『日本後紀』には「与等津」とあり、平安京の外港として、中世まで全国荘園(しょうえん)の貢租米の荷揚げが行われ、また淀魚市として栄えた。江戸時代、淀の納所(のうそ)は伏見とともに淀川水運の本拠地をなした。また軍事上の要地でもあり、戦国時代から納所の地に淀城が置かれた。豊臣(とよとみ)秀吉も一時淀君のために淀城を修築したが、伏見城完成とともに取り壊した。1623年(元和9)京都守護のため、松平定綱(さだつな)は現在の淀本町に築城した。以後、淀藩の城下町、また東海道の淀宿として繁栄した。1868年(明治1)鳥羽(とば)・伏見の戦いで淀城は焼失。現在、本丸の石垣と内堀の一部を残し、淀城跡公園となっている。明治になって大阪―京都間に鉄道が開通し、淀川水運は急速に衰退した。明治末年京阪電鉄の開通によって京都・大阪への通勤者が増加して宅地化が進み、低湿地を利用して京都競馬場がある。

[織田武雄]

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘他マ下一〙 よど・む 〘他マ下二〙 動いていたものを止める。とどこおらせる。
※鳥影(1908)〈石川啄木〉七「『ハハア、帰って来たナ』と呟いて、足を淀(ヨド)めたが」

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

京都市伏見区南部の一地区で,中世に繁栄した港町
淀川・木津川・宇治川の合流点に近く,古くから西国から京都へ送られる物資の集積地として発展。問丸 (といまる) が発達し,室町中期に栄えた魚市場有名

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