ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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京都市伏見(ふしみ)区南西部の一地区。旧淀町で、1957年(昭和32)伏見区に編入。宇治(うじ)川、桂(かつら)川、旧木津(きづ)川の三川の合流点にあたり、標高11メートルの低湿地をなしている。『日本後紀』には「与等津」とあり、平安京の外港として、中世まで全国荘園(しょうえん)の貢租米の荷揚げが行われ、また淀魚市として栄えた。江戸時代、淀の納所(のうそ)は伏見とともに淀川水運の本拠地をなした。また軍事上の要地でもあり、戦国時代から納所の地に淀城が置かれた。豊臣(とよとみ)秀吉も一時淀君のために淀城を修築したが、伏見城完成とともに取り壊した。1623年(元和9)京都守護のため、松平定綱(さだつな)は現在の淀本町に築城した。以後、淀藩の城下町、また東海道の淀宿として繁栄した。1868年(明治1)鳥羽(とば)・伏見の戦いで淀城は焼失。現在、本丸の石垣と内堀の一部を残し、淀城跡公園となっている。明治になって大阪―京都間に鉄道が開通し、淀川水運は急速に衰退した。明治末年京阪電鉄の開通によって京都・大阪への通勤者が増加して宅地化が進み、低湿地を利用して京都競馬場がある。
[織田武雄]
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