鳳林寺(読み)ほうりんじ

日本歴史地名大系 「鳳林寺」の解説

鳳林寺
ほうりんじ

[現在地名]天王寺区六万体町

曹洞宗、山号最乗山、本尊釈迦如来。天正一六年(一五八八)才庵存芸を開山とし、北条氏房の女が武蔵国比企郡岩付村に芳林寺として創建したと伝える。北条氏の摂津移住により大坂へ移建。寺地は文禄期(一五九二―九六)豊臣秀吉より寄せられた。慶長二〇年(一六一五)大坂夏の陣の際、徳川家康は当寺に難をのがれたと伝え、この頃門前に鳳凰が舞降りた奇瑞があったので現在の字に改めたという(寺蔵文書)。寛永六年(一六二九)禅寺の僧録司に任じられたと伝え、元禄八年(一六九五)の大坂町中江出寺請状諸宗寺々五人組判形帳(大坂城天守閣蔵)には「武州市川永福寺末寺」と記され独判寺院とある。


鳳林寺
ほうりんじ

[現在地名]小鹿野町下小鹿野

赤平あかびら川北岸の段丘上に位置する。長慶山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。寺伝では応仁(一四六七―六九)の頃、京の戦禍を避け当地にとどまった公家が、その祖である南朝第三代長慶天皇の香華所として小庵を結んだのが始まりという。天文一二年(一五四三)甲州興因こういん(現山梨県甲府市)の雲鷹玄俊の弟子戈屋尊芸が開山となって正式に起立、元和六年(一六二〇)三世万谷順鶴が庵地を現在地に移して整備し、中興となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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