日本大百科全書(ニッポニカ) 「施設園芸」の意味・わかりやすい解説
施設園芸
しせつえんげい
野菜、花卉(かき)、果樹などの作物を、本来生育しにくい場所や季節に、ガラス温室やプラスチックまたはビニルシートで囲ったハウス内で、自然環境条件を制御しつつ栽培する園芸のことをいう。したがって施設園芸は、寒冷、風雨、一部の病気などの被害解決策や、周年化する需要にこたえるための施設として発達した。また農業経営上からみると、資本投下をすれば高度の技術と労力の集約化により高収益が期待できる。従来の暖房中心による温室栽培やビニルハウス栽培での促成・抑制栽培に比べると、施設園芸は内部に省力化のための諸装備をもち、暖房、保温、地中熱利用、給排水の自動化、変温装置の開発、さらにマイクロコンピュータ等の導入によるシステム化が進み、規模の大きな農業経営形態に発展してきた。1969年(昭和44)に1万1300ヘクタールであった日本の施設園芸面積は、1999年(平成11)には5万3500ヘクタールに達した。その後減少に転じ、2007年には5万0600ヘクタールとなったが、世界有数の広さである。施設園芸ということばが初めて用いられるようになったのは、内部装備や施設化が進んだ1962年ころである。とくに養液栽培の一種である礫耕(れきこう)栽培の普及が始まった時期であり、数年後には水気耕栽培が行われるようになった。
[堀 保男]
沿革
江戸時代末期に、有機物の発酵熱を利用して温床とし、野菜の早出し、花卉類の室(むろ)出しなどが行われたというから、これが施設化の最初の園芸的利用であり、自然栽培型から季節的にひと足早く商品化する技術がすでに生まれていたといえよう。
温室を利用した園芸作物の栽培は明治初期に花卉類から始まり、果樹、野菜と続いたが、特殊性と高度技術、また建設費がかさむため、広く普及するようになったのは昭和30年代後半になってからである。一方ビニルハウスは、ビニル(塩化ビニルフィルム)が1951年に輸入されたことにより利用が始まった。最初はトンネル栽培や保温材、被覆材として用いられたが、その取扱いの容易さと効果の大きさ(省力化、機械化)から急速に普及し、しだいに大型のビニルハウスとなった。さらに数年後、石油化学の発達から柔らかいポリエチレンフィルムが開発され、内部保温用に利用が広まった。温室、ビニルハウスを使った施設園芸の変遷をみると次のように区分されよう。
[堀 保男]
創生期(1927~62年)
温室は花卉、果樹中心の栽培施設であり、野菜ではメロンのほか一部礫耕栽培などに使用された。主骨材は木材で、後半になって鉄骨が用いられるようになった。ビニルハウスも、当初、野菜育苗や定植管理、水稲育苗の防寒などの資材的利用に限られていたが、しだいに竹、木材、鋼管などの骨を用いた中型のビニルハウスが建設された。
[堀 保男]
規模拡大期(1963~72年ころ)
経済の高度成長に伴う、園芸作物の需要増と高収益とが重なって、温室、ビニルハウスとも栽培規模が拡大した。建物も単棟から連棟へとさらに大型化し、強制換気扇、自動灌水(かんすい)装置、保温用自動カーテンなどが導入されるとともに、温室の屋根骨材、窓枠もアルミ材に変わった。
[堀 保男]
省資源期(1973~81年ころ)
大型化した温室、ビニルハウスも、石油ショックによる暖房用燃料(重油、石油)不足から節約の必要が生じ、省資源、省エネルギー期を迎える。そのため室内保温対策として二重カーテン、地中熱交換暖房、蓄熱方式などの省エネ設備のくふうが行われた。一方この期の後半には、野菜、果物などに対する消費者志向も高級化し、周年需要とともに量産から質(味)の時代へと変化し、施設園芸の基盤が確立した。
[堀 保男]
システム化時代(1982年以降)
施設園芸にも栽培管理の省力化とデータによる管理方式が取り入れられてくる。とくに従来の内部設備に加えて、マイクロコンピュータなどの活用による温度管理、収量計算、炭酸ガス濃度の測定など数字に基づく管理体制が導入された。一方、施設を人工的に完全制御して栽培する野菜の工場的生産施設が企業として完成し、実用化に向かっている。その一例として、土のかわりに養分液(培養液)を、太陽のかわりに電灯(特殊ランプ)を用い、人間の勘に頼らずコンピュータによる日長、温度(暖冷房)、養液濃度などの調節機構の完備した方式のものが、限られた作物ではあるが行われつつある。まだ経済性に問題があるが、今後資本投下が進められれば、場所と時期を選ばず栽培できる工場的生産はさらに前進すると思われる。
[堀 保男]
『古在豊樹・後藤英司・富士原和宏著『最新施設園芸学』(2006・朝倉書店)』