鹿島精一(読み)カジマ セイイチ

20世紀日本人名事典 「鹿島精一」の解説

鹿島 精一
カジマ セイイチ

明治〜昭和期の実業家 鹿島組会長。



生年
明治8年7月1日(1875年)

没年
昭和22(1947)年2月6日

出生地
岩手県

学歴〔年〕
東京帝大工科〔明治32年〕卒

経歴
大学卒業とともに鹿島組(のちの鹿島建設)副組長となり、明治45年3代目組長に就任。従来からの鉄道建設請負に加え、水力発電所トンネル等の工事への進出をはかり、大正期には建築部門にも力を注いだ。大正7年西口担当として着工した東海道線丹那トンネル建設は鉄道工事史に残る事業であった。また、日本土木建築請負業者連合会など多数の業界活動に関与し、入札や契約保証金制度の撤廃片務契約是正、営業税の改廃、請負業者の衆院議員被選挙権の獲得など、業界の地位向上と近代化に寄与した。昭和5年鹿島組を株式会社組織に改め、13年会長。21年業界初の土木学会長に就任。「鹿島精一追懐録」(昭25年)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿島精一」の意味・わかりやすい解説

鹿島精一
かじませいいち
(1875―1947)

日本の大手建設企業である鹿島建設の前身、鹿島組の3代目経営者。岩手県盛岡で士族長男に生まれた。東京帝国大学工学部を卒業後、鹿島家の婿養子となり、鹿島組の副組長に就任。1912年養父鹿島岩蔵の死去とともに組長となって、それまでの主力事業であった鉄道建設以外に水力発電所の建設など各種の土木・建築工事への進出を図った。また、1930年(昭和5)に鹿島組を個人経営から株式会社に改組するなど、経営の近代化にも努めた。穏健な人格人望を得て業界団体の代表者などを務めたが、他面では、その堅実な経営のやり方が鹿島組の成長を抑えたといわれる。

[四宮俊之]

『鹿島精一追懐録編纂委員会編・刊『鹿島精一追懐録』(1950)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鹿島精一」の解説

鹿島精一 かじま-せいいち

1875-1947 明治-昭和時代の実業家。
明治8年7月1日生まれ。鹿島家の婿養子となり,明治45年鹿島組組長となる。鉄道建設請負のほか,水力発電所建設などの土木・建築工事にも進出。経営の近代化をはかる一方,業界の地位向上にもつくした。昭和22年2月6日死去。73歳。岩手県出身。東京帝大卒。旧姓葛西

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367日誕生日大事典 「鹿島精一」の解説

鹿島 精一 (かじま せいいち)

生年月日:1875年7月1日
明治時代-昭和時代の実業家。鹿島組会長
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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