鹿谷寺跡(読み)ろくたんじあと

日本歴史地名大系 「鹿谷寺跡」の解説

鹿谷寺跡
ろくたんじあと

[現在地名]太子町山田

二上にじよう南西麓、岩屋いわや峠の南西約四〇〇メートルに位置する奈良時代の寺院跡。寺地は地山の凝灰岩を削って造られた平地に占地し、その北部域に地山を彫残して造られた十三重塔が建つ。さらに十三重塔の東側岩壁を掘削して石窟が造られ、その壁面に如来坐像三体が線刻されている。また西側壁面に沿う岩塊にも仏立像一体が浮彫されているが剥落が著しく、腹部下方を認めるにすぎない。さらに南方の崖面下の小平地に高さ一メートル余の方尖碑状の塔が地山から造り出されている。またこの平地下方にも小規模な平坦地があり、その付近から須恵器土師器などとともに和同開珎が検出されており、当寺の僧房が所在したと考えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「鹿谷寺跡」の解説

ろくたんじあと【鹿谷寺跡】


大阪府南河内郡太子町山田にある奈良時代の寺院跡。二上(ふたかみ)山の雌岳から西南方向に派生した丘陵の先端部付近、標高258mの小平地に立地する。小規模ながら、他に類例をみない大陸の石窟寺院の趣を伝える貴重な遺構で、1948年(昭和23)に国の史跡に指定された。寺跡の平地は、山の凝灰岩を開き削って造られたもので、北側には石造十三重塔が造成され、東側岸壁を掘りうがって造った石窟内には、線彫りされた三尊仏坐像が祀られ、主要部をなしている。西側岩壁に沿う小岩塊にも仏立像1体が浮き彫りされているが、剝落が甚しい。南方崖下には断崖に臨んで、高さ約1.5mの小塔が地山から造り出されている。十三重塔は地山の石を彫り残して造り出され、上部が破損しているが、高さ5.7mで、全体として安定感もあり雄壮な外観を誇る。石窟は間口約2.2m、高さ1.8m、奥行き約0.7mの小洞窟をうがち、同様の石窟遺跡である同町の岩屋とともに、上代における仏教関係の類まれな遺跡となっている。近畿日本鉄道長野線喜志駅から金剛バス「山田」下車、徒歩約30分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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