江戸中期の俳人。姓は堀,名は長,通称池田屋平三郎のち長左衛門。初号は可遊,別号は四楽庵,樗庵など。加賀金沢の蔵宿の出で,伊勢の乙由(おつゆう)を慕い,その子麦浪から麦水の号を得た。早くから行脚を好み,1749年(寛延2)には江戸,伊勢,京を回って《あづまぢ草》を草し,61年(宝暦11)から3,4年は京,江戸にたびたび往来して俳壇の中興気運を高め,《鶉だち》を刊行した。70年(明和7)ごろから,漢詩文調のいわゆる貞享蕉風(芭蕉初期の作風)への復帰を説き,自論を《俳諧蒙求》《蕉門一夜口授》その他の俳論書,伝書に吐露し,《虚栗(みなしぐり)》調の作品を《新虚栗》(1777)に集成した。高踏的なこの主張は俳壇に高い精神性を求めて中興運動に一石を投じた。一方では実録小説に手を染めて《慶長中外伝》《寛永南島変》《昔日北華録》《三州奇談》など多作し,謡曲の注釈《謡俚諺察形子》も著す。和漢の学に通じ,書画,茶湯,骨董鑑定,算術,囲碁,双六と多芸に遊んだ才知あふれる人物で,将棋では藩主の相手も勤めた。町医師を兼ねた異色の地方教養人であった。〈鍬の刃にはねだす石やきじの声〉(《葛箒》)。
執筆者:田中 道雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸中期の俳人。堀氏。通称池田屋長左衛門。初号は葭由(かゆう)、可遊。別号に樗庵(ちょあん)、暮柳舎(ぼりゅうしゃ)など。加賀国(石川県)金沢の人。生家は金沢竪町(たてまち)の蔵宿。俳諧(はいかい)は初め支考(しこう)門の美濃(みの)派に、中ごろ麦林・麦浪の伊勢(いせ)派に属した。しかし、のち支麦の風調の卑俗浅陋(せんろう)なることに気づき、『虚栗(みなしぐり)』の気概高致なるところにあこがれ、「貞享蕉風(じょうきょうしょうふう)」なるものを喧伝(けんでん)、天明(てんめい)中興俳諧の革新運動に大きく寄与した。著書に『鶉立(うずらだち)』『俳諧蒙求(もうぎゅう)』『貞享正風句解伝書』『山中夜話』『蕉門一夜口授』『新虚栗』など。多芸の人で、将棋、茶道、書画骨董(こっとう)の鑑定にもたけていた。また『慶長中外伝』『寛永南島変』『慶安太平記』などの稗史(はいし)小説や雑書も多い。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新