黒丸城跡(読み)くろまるじようあと

日本歴史地名大系 「黒丸城跡」の解説

黒丸城跡
くろまるじようあと

[現在地名]福井市黒丸町

黒丸町西側の字浜田北割はまだきたわりにあって九頭竜くずりゆう川に日野川が合流する地点にあたり、周囲に深田を巡らす要害の地。

南北朝の争乱期には北朝方斯波高経居城。「太平記」巻二〇(黒丸城初度軍事付足羽度々軍事)に「足利尾張守高経、猶越前ノ黒丸城ニ落残テヲハシケル」とある。新田義貞は京都への進軍の足を当地方で止め、足利方と戦っていたが、延元三年(一三三八)閏七月、当城から出兵した高経の部将細川氏らの率いる三〇〇余騎との遭遇戦で戦死する。


黒丸城跡
くろまるじようあと

[現在地名]福井市黒丸城町

福井平野北西部、丹生山地九頭竜くずりゆう川、三里浜さんりばま砂丘とに挟まれた地域は、三角形をなす後背湿地となり、その東南一隅に比高約一二メートルの島状に浮ぶ洪積丘陵がある。黒丸城跡はこの丘陵の西南端にあるが、跡地三宅みやけの地籍になるため、三宅黒丸城ともよばれる。

「越前国城蹟考」に「大黒丸城跡 朝倉孫右衛門広景 同孫次郎高景 同弾左衛門敏景 三宅村ヨリ二町計東方山之四十間四方計之所掻上形有之」とあり、従来は、南北朝期に越前に入国した朝倉広景以来、一乗谷へ移るまでの六代約一三〇年間朝倉氏の居城であったとされていたが、近年の研究によって、これは誤りであることが指摘された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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