黒木為楨(読み)くろきためもと

精選版 日本国語大辞典 「黒木為楨」の意味・読み・例文・類語

くろき‐ためもと【黒木為&JISEB98;】

  1. 陸軍大将。伯爵旧姓帖佐。鹿児島藩出身。戊辰(ぼしん)戦争西南戦争日清日露戦争参戦。日露戦争では第一軍司令官としてクロパトキン軍を破った。のち枢密顧問官。天保一五~大正一二年(一八四四‐一九二三

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「黒木為楨」の解説

黒木 為楨
クロキ タメモト


肩書
枢密顧問官

旧名・旧姓
旧姓=帖佐

生年月日
弘化1年3月16日(1844年)

出生地
薩摩国鹿児島城下加治屋町(鹿児島県)

経歴
戊辰戦争、鳥羽伏見戦い参加。明治4年上京、歩兵大尉、8年中佐、広島鎮台第12連隊長、10年西南戦争に従軍。16年参本管東局長、18年少将、歩兵第5旅団長、26年中将。第6師団長として日清戦争に従軍、威海衛占領鶏冠山を陥落させ、戦後男爵。29年近衛師団長、30年西部都督、36年大将。37年軍事参議官。同年第1軍司令官として日露戦争に参加、各地に連戦、40年その功により功1級、伯爵。42年予備役、大正6年枢密顧問官となる。

没年月日
大正12年2月3日

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20世紀日本人名事典 「黒木為楨」の解説

黒木 為楨
クロキ タメモト

明治期の陸軍大将,伯爵 枢密顧問官。



生年
天保15年3月16日(1844年)

没年
大正12(1923)年2月3日

出生地
薩摩国鹿児島城下加治屋町(鹿児島県)

旧姓(旧名)
帖佐

経歴
戊辰戦争、鳥羽伏見の戦いに参加。明治4年上京、歩兵大尉、8年中佐、広島鎮台第12連隊長、10年西南戦争に従軍。16年参本管東局長、18年少将、歩兵第5旅団長、26年中将。第6師団長として日清戦争に従軍、威海衛を占領、鶏冠山を陥落させ、戦後男爵。29年近衛師団長、30年西部都督、36年大将。37年軍事参議官。同年第1軍司令官として日露戦争に参加、各地に連戦、40年その功により功1級、伯爵。42年予備役、大正6年枢密顧問官となる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒木為楨」の解説

黒木為楨 くろき-ためもと

1844-1923 明治時代の軍人
天保(てんぽう)15年3月16日生まれ。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士。戊辰(ぼしん)戦争,西南戦争に従軍。日清(にっしん)戦争では第六師団長。明治36年陸軍大将。日露戦争では第一軍司令官としてクロパトキン指揮のロシア軍とたたかい,勇名をとどろかせた。のち枢密顧問官。伯爵。大正12年2月3日死去。80歳。本姓は帖佐。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒木為楨」の意味・わかりやすい解説

黒木為楨
くろきためもと

[生]弘化1(1844).3.16. 鹿児島
[没]1923.2.3.
陸軍軍人。薩摩藩士の子として生れ,鳥羽・伏見の戦いに参加。 1871年に上京,陸軍大尉。西南戦争,日清戦争に出征し,1903年大将,04~05年日露戦争の第1軍司令官。 06年伯爵。

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367日誕生日大事典 「黒木為楨」の解説

黒木 為楨 (くろき ためもと)

生年月日:1844年3月16日
明治時代の陸軍軍人。伯爵
1923年没

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