黒柳召波(読み)クロヤナギショウハ

精選版 日本国語大辞典 「黒柳召波」の意味・読み・例文・類語

くろやなぎ‐しょうは【黒柳召波】

  1. 江戸中期の俳人。別号、春泥舎。京都の人。服部南郭に漢詩を学ぶ。明和初年頃、蕪村の三菓社に加わり、俳諧に精進。著、「春泥発句集」など。享保一二~明和八年(一七二七‐七一

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒柳召波」の解説

黒柳召波 くろやなぎ-しょうは

1727-1772* 江戸時代中期の俳人。
享保(きょうほう)12年生まれ。服部南郭(なんかく)にまなび,竜草廬(りゅう-そうろ)の門にはいって柳宏の名で詩を発表。宝暦のころ俳諧(はいかい)に転じて与謝蕪村(よさ-ぶそん)に師事し,明和3年三菓社句会に参加した。子の維駒(これこま)編「春泥句集」がある。明和8年12月7日死去。45歳。京都出身。字(あざな)は廷遠。通称は清兵衛。別号に春泥舎。
格言など】憂きことを海月(くらげ)に語る海鼠(なまこ)かな(「春泥句集」)

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世界大百科事典(旧版)内の黒柳召波の言及

【召波】より

…江戸中期の俳人。姓は黒柳,通称は清兵衛。別号は玄亭,春泥舎など。京都の人。はじめ江戸に出て服部南郭に漢詩を学び,そこで同門の蕪村と知り合い,俳諧に興味をもった。のち京都に帰り,竜草廬に漢詩文を学び,漢詩人柳宏として世に知られた。そのころ俳諧は余技として親しんでいたようだが,1766年(明和3)に蕪村が三菓社を結成したときそれに参加して,以後俳諧に熱中するようになり,めきめき頭角をあらわした。去来,嵐雪,其角,素堂らの作風を慕い,支考,麦林(乙由)らの俗調を排して蕪村に心酔し,離俗の生活を喜んだ。…

※「黒柳召波」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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