竜草廬(読み)リュウソウロ

デジタル大辞泉 「竜草廬」の意味・読み・例文・類語

りゅう‐そうろ〔‐サウロ〕【竜草廬】

[1714~1792]江戸中期の漢詩人。山城の人。本姓武田、名は公美。宇野明霞に学び、彦根藩儒官として仕える。官職を退いた後、京都で漢詩結社幽蘭社」を開く。著作に「草廬集」「名詮典詮」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「竜草廬」の意味・わかりやすい解説

竜草廬 (りゅうそうろ)
生没年:1714-92(正徳4-寛政4)

江戸中期の漢詩人。名は公美,字は君玉,通称は衛門。〈たつそうろ〉と読むという説もある。山城伏見の人。早くに父を失い,京都に出て商家に奉公しながら儒学と詩文を学び,25歳で儒者として立った。宝暦(1751-64)から天明(1781-89)にかけて,江村北海とともに京都の儒学界を二分する名声があった。1750年(寛延3)には彦根藩に儒官として召し抱えられた。その実,儒者としての業績にあまり見るべきものはなく,本領は詩文にあった。すなわち幽蘭社という漢詩の結社を開き,門人を多数育てて,京都の地に漢詩の趣味を定着させた。また和歌書道をもよくした。著書に《草廬詩集》《名詮》《典詮》などがある。
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朝日日本歴史人物事典 「竜草廬」の解説

竜草廬

没年:寛政4.2.2(1792.2.23)
生年正徳4.1.19(1714.3.5)
江戸時代中期の漢詩人。山城(京都府)伏見の人。名は公美,字は君玉,子玉,通称は彦二郎。草廬は号。家は商家であったが,父を早くに亡くし,苦労して儒学,詩文から兵学,和学,書道に至るまでの学問を修めた。若くして京都烏丸に塾を開き,その幽蘭社と称した詩社からは,多彩な人材が輩出した。宝暦7(1757)年彦根藩の儒官に召され彦根に移居。安永3(1774)年に致仕,翌年京都に帰ると著述に専念した。その編著は詩文集,歌集,法帖など多岐にわたっている。<参考文献>中野三敏「竜草廬」(中村幸彦編『近世の漢詩』)

(高橋昌彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竜草廬」の解説

竜草廬 りゅう-そうろ

1714-1792 江戸時代中期の儒者。
正徳(しょうとく)4年1月19日生まれ。竜玉淵(ぎょくえん)の父。宇野明霞にまなび,京都でおしえる。漢詩結社「幽蘭社」を主宰し,社中の作品集「金蘭詩集」を刊行。寛延3年近江(おうみ)(滋賀県)彦根藩の儒官となる。寛政4年2月2日死去。79歳。山城(京都府)出身。本姓は武田。名は公美,元亮。字(あざな)は君玉,子明。別号に鳳鳴,竹隠,松菊など。著作に「草廬集」「典詮」など。

竜草廬 たつ-そうろ

りゅう-そうろ

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367日誕生日大事典 「竜草廬」の解説

竜草廬 (りゅうそうろ)

生年月日:1714年1月19日
江戸時代中期の漢詩人
1792年没

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